Chapter 11

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「これはいったいどういうこと……ですか?」
 その紙切れに目を通すなり、パトリシアは震える声でウェスコット氏に問いかけた。氏は参ったと言うように首を横に振った。
「その紙に書いてある通りだよ。どうやら自分達に都合がいいように、完全に話を作り変えたらしい」
 それから弁護士は青ざめたパトリシアに目をあて、重々しく言った。
「あなたの父上、ミスター・ニコルズが帰ってきた」

 パトリシアがはっとしたように両手で口元を押さえた。
 驚きと戸惑いと安堵が、その面に複雑に交錯する。そんな恋人に鋭い一瞥を投げてから、ロイは緊張した声で問い返した。

「帰ってきた? どういうことです? ミスター・ニコルズの消息を、先生がどうやってお知りになったんですか?」
「彼自身がわしの事務所に出向いて来たのだよ。今日の昼過ぎにな」
 ウェスコット弁護士は疲れた、というように親指でこめかみを揉んだ。
「この手配書を持ってきたのはミスター・ニコルズ本人だ。もちろんミス・ニコルズの消息を気遣ってのことだな。まぁ帰ってきたのなら当然だろう。あの夜、お前の部屋でミス・ニコルズが見つかっているわけだし、ホイットリーの次男坊の目の前からお前達がからくも逃げ出したのは、紛れもない事実だからな。こういうことになるんじゃないかと心配しておったが案の上……、いや、わしの予想よりも始末が悪いぞ。まったく困ったことになった」

 深々とため息をついた上司の傍らで、ロイは激しいののしりの言葉を吐きそうになった。だが、呆然と立ち尽くすパトリシアの身体が小刻みに震えているのに気付くと、それも引っ込んでしまう。
 本当になんと面倒な事態になってしまったのだろう。
 それにしてもアーノルド・ホイットリーの畜生め! あの時いっそ締め殺してやればよかった!
 激しい怒りをぐらぐらと胸にたぎらせながら、彼は手配書を睨みつけるように何度も読み返した。弁護士はしばらくうろうろと部屋を歩き回っていたが、やがて再び椅子にどっかりと座り込むと、しわがれた声で訊ねた。

「お前がずっと調査していたラトランド商会の鉄道債がらみの件と、ミスター・ニコルズの失踪には、もちろん関連があった訳だな? いったいお前は今までにどんな内容を掴んでいるんだ?」
 ロイは苦しげに息を吐き出した。すぐには答えなかった。
「今、その中身を先生に申し上げてもいいのかどうか……判断しかねます。第一証拠自体がもう手元にない。このままでは先生にまで、ご厄介が及んでしまうかもしれません」
「好むと好まざるとに関わらず、もう十分に厄介なことになっとるではないか! この事態がわしの事務所に影響を及ぼさんとでも思っとるのか? この大馬鹿者め!」
 普段は温厚なウェスコット弁護士も、ついに堪忍袋の緒を切らせたように、テーブルを激しく叩いて怒鳴りつけた。パトリシアがまたびくっと身を震わせる。ロイは急いで彼女に近付くと細い身体を自分の方に引き寄せようとした。だが彼女は幼子がいやいやをするように、首を横に振りながら壁際まで後ずさってしまった。

『だがね、このまま行けばそいつは間違いなく職を追われるよ。それどころか監獄行きかもしれないな。君を誘惑した上誘拐までして、これだけ警察を大騒ぎさせたんだから』

 涙で濡れ始めた瞼の裏側にアーノルドの残酷な顔が浮かび上がった。彼の脅し文句がパトリシアの頭の中で木霊する。
 どうしたらいいのだろう。自分の思慮のない行動が愛する男性を、ひどく厄介な立場に追いやってしまうかもしれないのだ……。
 万が一にも、ロイがアーノルドの言った通り監獄に入るようなことになったら……。考えただけでもぞっとして身がすくむ思いだった。そんなことは絶対にさせてはならない!


 パトリシアの目の前でロイとウェスコット弁護士は緊張した表情でしばらく睨み合っていた。二人が少し落ち着いたように見えたとき、ロイは上司に力なく頭をさげた。
「先生、とにかくもうお帰りください。これ以上先生にご迷惑はかけられません……」
「それでどうするつもりなんだ? 何か算段はあるのか? このままではお前、逮捕されてしまうぞ」
「………」
「そんな! そんな馬鹿な話はないわ!」
 青ざめたパトリシアがついに声を上げた。事実彼は悪いことは何もしていないのだ。話せばきっとわかってもらえるはずだ。
「わたしが警察に行って説明します。嫌な婚約者の手から逃げ出して、あなたに助けを求めたんだって。そうすれば警察の人達もきっとわかって……」
「それで事が済んだら、君の身内が大恥をかくくらいで済むだろうけどね、パトリシアお嬢さん」
 ロイの口調が皮肉な色を帯びた。
「それで耳を貸してくれるのは、トロント・ディリーニュースの記者くらいじゃないかな。大喜びでゴシップ欄一面に大々的に記事を書いてくれるだろう。『ホイットリー家の大スキャンダル!』」
「こういうときくらい真面目にやれ! 冗談言っとる場合ではないんだぞ!」

 ウェスコットが再び怒鳴った。
 だが現実問題、彼女の保護者である父親と被害者だと言い張る名家の婚約者、さらにその強力な父親が、束になって彼を訴えてくれば、当の女性本人がいくら事情を陳述をしようが、どれほどの説得力があるのか大いに疑問だった。

「ロイド、お前はこの前からあれこれ熱心にホイットリー家の周辺を調査していたな。それで何か説得力のある内容をつかんだのか? それならわしにもお前の弁護はできる。打開する道も開けるかもしれん」
「そうだわ。ロイ、あなたあの夜、何かわかったって言ってたじゃないの」
 パトリシアも思い出したようにロイに希望の目を向けた。ロイはしばらくじっと考え込んでいたが、ふいにくっくと低い声で笑い出してしまった。呆然とする二人の耳に、彼の自嘲に満ちた笑いと投げやりな声が聞こえてくる。
「まったくもって、万事休すですね……。まるで蜘蛛の糸に捕まったようだ。こいつは傑作だな」
 突然自暴自棄になったか? ウェスコットは眉をひそめた。今度は諭すような口調になる。
「やっても見んうちから、闘いを放棄してはいかん。お前だって弁護士の端くれだろう。いいから背後の事情をすっかり話してみろ」
「……これは、僕とパトリシアの問題ですから」
「お前は……」
 頑固に口を閉ざすロイに弁護士がまただみ声を張り上げようとしたとき、パトリシアがそれより早く大声で叫んだ。
「……そうよ! わたし、わたしももちろん警察に行ってあの晩の事情を詳しくすべて説明するわ! ロイは何も悪くないのに、誘拐だの暴行だの、これはとんでもない大嘘だもの。わたしがいきさつをすっかり説明すればいくら女の言葉でも、きっと耳を貸してくれるわよ」



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17/05/17