Chapter 11

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 ウェスコット弁護士は窓辺に飛びつくようにして外を見るなり、一声唸ってさっとカーテンを引いた。
「いかん、来たぞ。だがまだ間に合う。二人とも裏口から急いで出れば……」
「ウェスコット先生」
 ロイは緊張感を漂わせながらも落ち着いていた。彼はパトリシアから離れると、急いで部屋の戸口に近付いた。小さくドアを開けて廊下の様子を窺いながら、弁護士を振り返る。

「どうやら、僕はこれ以上逃げてもどうしようもないようです。先生こそ早く行ってください。もう僕達のことはお気遣い無用です……。先生までこんな騒動に巻き込んで、心から申し訳なく思います」
「ロイド!」
「早く! お願いだ、行ってください!」
 ロイが扉を開いて叫んだ。だが弁護士も動かない。どっかりと椅子に座り込んだまま顎を撫でている。
「ふん、青二才の分際でわしに指図するなど三十年早いぞ」
「先生!」
 やがて廊下が騒がしくなった。と見る間に宿の女将が三人のいる部屋に駆け込んできた。
「ちょっと、あんたたち! 何か悪さでもしたのかい? お偉い旦那方がたった今……」
「ミス・パトリシア・ニコルズ、こちらにいらっしゃるんですね」
 女将が言い終わらないうちにその背後から見知らぬ男の声がし、制服を着けた二人の警察官が顔を覗かせた。そして彼らの後ろから姿を現したのは……。
「パット! 無事か?」
「お父さん?」

 次の瞬間、パトリシアは父の胸に飛び込んでいた。


 ロイは闖入者達の中に立ち、初めて間近にするパトリシアの父親の顔を食い入るように眺めていた。確かに親子だ。目元がとてもよく似ている。
 ニコルズの顔に浮かぶ疲労の色を見ると、少し同情的な気分になった。この三か月がさぞ堪えたに違いない。ロイはゆっくりと父親の腕の中でしゃくりあげているパトリシアに視線を移した。彼の口元にちらりと寂しそうな微笑を浮かぶ。
「よしよし、もう大丈夫だ。無事でよかった。酷いことはなかったかい?」
 ニコルズは娘を抱き寄せ、なだめるように声をかけながら室内をぐるりと見渡した。傍らに無言で立つロイと、奥の椅子に苦い表情でどっかと腰を下ろすウェスコットの姿を認めるなり、表情がさらに険しくなった。ロイは憤りのこもった父親の視線を臆面もなく受け止め、ただ無表情に見返した。
 パトリシアが涙に濡れた顔を上げ、父をつくづく見上げた。
「お父さん。やっと帰ってきたのね。よかった、よかったわ。本当に心配したのよ」
「わたしのことなら、もちろん大丈夫だとも。あとのことは警察に任せておけばいい。屋敷に帰ろう、パトリシア」
 聞くなり、ぎくりとしたパトリシアの目前で、一人の警官がロイの前に進み出た。
「お前がロイド・クラインか?」
「そうだ」
 静かな声が応じた。
「暴行ならびに婦女略取誘拐の容疑がかかっている。一緒に隊本部に来てもらいたい。もし抵抗するなら連行する」
「とんでもないわ! 違います。やめてちょうだい!」
 途端にパトリシアは血相を変えて声を上げた。娘の反応に一瞬唖然とした父親の手から離れ、警官とロイの間に割り込むようにして相手を見上げる。
「この人は何もしていないんです。本当よ。これは暴行でも誘拐でもありません。わたしが頼んだから、一緒に来てくれただけなんです!」
「お嬢さん……」
 狂ったように飛び出し懸命に訴えるパトリシアに、その警察官は困り果てたように苦笑した。そしてどくように身振りで示す。そのとき部屋にもう一人、大柄の私服の男が入ってきた。
「お嬢さん、それはどういう意味です? 詳しくお聞かせ願えませんか?」
 パトリシアの背後でロイがかすかに身動きし、息を吸い込んだのがわかった。その男はロイの顔を確認するように見てから、もう一度パトリシアに目を移した。
 とっさに声を上げたものの、パトリシア自身もどう話せばよいかわからず、すぐに口ごもってしまった。これは父や伯父に関すること、ひいては家族と一族に深く関わる内容でもある。
 ああ、本当だわ。いったい何からどうやって説明すればいいの?

 彼女が絶望的に唇を震わせ視線を泳がせた隙に、父親が娘を再び引き戻してしまった。抗議の声を上げるパトリシアをなだめながら、何とか外へ連れ出そうとする。
「とにかくこんな場所にはもう一分たりとも用はない。屋敷に帰ろう。お前の顔色がひどく悪い。早く休まなければいけないよ。後のことはわたし達に任せておきなさい。お前が心配することは何もないんだ。さあ、車が待っているよ」
 ニコルズが背後のホイットリー邸の運転手にうなずくと、彼はさっと彼女に近付いてきた。
 パトリシアは部屋から連れ出そうとする男達から逃れようと、父の手さえも振り解こうとした。だがすでにロイとの間には、四人の男達の障壁ががっちりとできてしまっている。
「お父さん、ロイは何もしていないわ! わたしを助けてくれただけなの。お願い、彼に何もしないでちょうだい!」
「お前は自分の置かれている状況が全くわかっていないようだ。可哀想に……」

 父の苦々しい顔つきを見ながら、パトリシアはパニックに襲われつつあった。やっぱりロイが言った通りなの? こんな……、何ひとつ耳も貸してもらえないなんて……。
 背中を抱きかかえられるようにして、無理やり部屋から連れ出される間際、パトリシアは振り向き、すがるような目を彼に向けた。

 ロイは二人の警官の間に立っていた。
 暮れ始めた夕べの光の中で、彼は静かに顔を上げてこちらをじっと見つめていた。


*** ***


 パトリシアが次第に遠ざかって行くのを、ロイはどこか覚めた気持で眺めていた。
 今までのすべては、もしかすると、いつか見た夢の続きだったのかもしれない……。

 ロイは淡々と警官の職務質問に答えた。聞かれた以上のことは言わず、否認すべきことは決して認めなかったが、あえて余計な抗弁も出さなかった。
「俺を覚えてるか? アンディだ」
 さっきパトリシアに尋ねた私服の警官に、ロイは小さくうなずき返した。彼がまたいくつか質問する。
 包帯の下で首筋の傷が再びうずくように痛み始めていた。無感覚との境界で、かろうじてそれだけは感じられる。
 ロイは黙って彼らと共に宿から出た。ウェスコット弁護士が一緒に行くと頑張ったが、彼自身が首を横に振った。ひどい気分だ。考えることさえおっくうだった。

 ウェスコットもいくつかの職務質問を受けたが、結局遅れてきた頑健な警察馬車に乗ったのは、ロイ一人だけだった。


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17/05/24