Chapter 12

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「パトリシア……、ここに座りなさい」
 やがてニコルズは心底疲れた、というようにのろのろと娘に声をかけた。彼の表情も気分同様ひどく陰鬱になっていた。パトリシアはさっきまで伯父が座っていた椅子にぎこちなく腰を下ろした。
「今アーノルドが言ったことは……本当なのかね? その男は……お前を辱めたのか……、だとすれば……」
 口にするのも耐えられないとばかりに、父は口元をぐっと引き締めた。パトリシアは躊躇したが、やがて思い詰めた目を上げるとゆっくりと言葉を選んで話しはじめた。

「そういうことではないんです。少なくとも、さっきアーノルドが言ったようなこととは全然意味が違うの。わたしと彼、ロイド・クラインとの関係は、十年前のサマセット村の頃にまで戻らなければ説明できないわ。彼はあの頃のわたしにとってたった一人の本当のお友達でした。そしてお父さんが居なくなった三月のあの時から、もう一度始まったんです……」
「どういうことだね?」
「お父さんが突然帰って来なくなって、わたしもお母さんも本当に心配でたまらなかったわ……。アーノルドや伯父様達からはすぐ戻るだろうから心配するなと言われていたけど、何もせずにじっとしているなんて我慢できなくて……。だから『尋ね人探し』も引き受けてくれると聞いたウェスコット弁護士事務所に、わたし一人で訪ねて行ったんです。そうしたらそこに懐かしいロイがいたの」

 一旦語り出すと堰を切ったように言葉があふれてきた。――ウェスコット事務所でロイと十年ぶりに再会したこと。彼が苦学の末に大学を出て弁護士になっていたこと。そして父親探しの依頼を引き受けてくれて、ラトランド商会とホイットリー家の関係などを調べてくれたこと。さらに先日偶然伯父達の会話を聞いて父の行方がわかったこと。件の書類をアーノルドの部屋で見つけたこと――。

「……それで見つけたお父さんの文箱を持って、わたしはロイのところに行ったんです。彼ならこの書類の意味がわかるかもしれないと思ったの。そして案の定、わかったらしいわ。でもこの家の人達が探しにきたから、連れ戻されてはいけないと、わたし達はロイの下宿に行ったんです。アーノルドがどうやってそこを探し出したのかわからないけれど、とにかくいきなり入ってきて、ロイのベッドに一人で寝ていたわたしを乱暴に引きずり出したわ。それで……」
 父が再び大きく息を吸い込んだ。
「それで?」
「アーノルドはわたしを紐で縛ったわ。そして車の中に置き去りにされました。そこへ帰ってきたロイとアーノルドが殴り合いになったらしいの。ロイの怪我もひどかったわ。おまけにナイフで傷つけられていたし……。ウェスコット先生が来て助けてくださらなければ、どうなっていたかしら。ようやく逃げようとした時ロイが倒れてしまって。先生が彼を担いで馬車を拾ってトロントを出て、その後わたし達はあの宿に隠れていたんです」
「何と言うことだ……。それでは、もともとはわたしのことが原因だった、というのか?」
 ニコルズはそう唸ると両手で頭を抱えてしまった。やがて娘を見返した黒い目には強い失望感と落胆の色が入り混じっていた。彼は立ち上がると座っている娘の前にかがみ込み、震える肩にそっと両手を置いた。
「パトリシア、お前は大切な愛しい娘だ。お前にもお母さんにも随分心配をかけてしまった。本当にすまなかったと思っている。だが、この件はもう忘れなさい。実際わたしもひどい目にあったが、こうして戻ってきた。もはや『神の御心のままに』任せるしかないのかもしれない。すでに矢は放たれてしまった。後はなるようにしかならないのだよ」
「……ロイが、お父さんもこの企てに加担したんじゃないかって心配していたわ……。まさか本当に?」
「………」

 ニコルズは深いため息をついて立ち上がった。そして気持を落ち着けようとするように、無言で傍らのテーブルのケースから葉巻を取り出し火をつけた。

「ロイは解放されるんでしょう? お父さん」
「今トーマスが言っていただろう。あの口ぶりからすれば、おそらくはそのつもりに違いない……。しかしお前とクラインというその男に関してはまた別の問題だ。パトリシア、お前はその男を好いているのかね?」
 彼女は父の言葉に頬を赤らめたが、はっきりとうなずいた。
「お父さん、わたし彼から結婚を申し込まれたの。わたしも彼を心から愛しています。ロイと結婚したいんです!」
 パトリシアの黒い瞳に強い懇願の色が浮かび、父はさらに口元を引き締めた。再び娘に向けた眼差しはひどく険しかった。
「残念だが……、それに許可を与えることはできないね。わたしとトーマスには、十五年来の約束がある」

 最後は呟くように言うと、ニコルズは苦々しい表情のまま書斎から出て行ってしまった。
 約束ですって? 何の話なの? パトリシアは顔色を変えて、父の後を追いかけた。


*** ***


「コーヒーはどうだい?」
「いえ、結構」
「そうか。まぁこいつはひどい味だからな」

 ため息をつきながらアンディ・マクスウェルは手元のカップに口をつけ、薄すぎるコーヒーに顔をしかめた。

「なぁクライン。どう考えてもお前がただこんな阿呆な真似をするとは思えないんだ。何があったんだ? どうして黙っている? 他人の時にはあれほど理路整然と状況を説いていたお前が、自己弁護一切なしってのはどういう了見だ?」
「容疑の事実は否認しました。彼女がさっき証言してくれたとおりです」
「さっきの……、単なる駆け落ちだって? そりゃ、お前なぁ……」
 アンディは眉を上げて、目の前で唇を引き結んで黙りこくっている男を一瞥した。陰気な石造りの取調室で、ロイは朝から必要最低限のことしか話さない。
「何かもっと理由があるんじゃないか? お前がこんなに黙っているくらいの訳が」
「………」
「と言うのも実はな……」
 今度は煙草に火をつけると、上向いて白煙を吐き出しながらゆっくりと言う。
「ホイットリー家に関しちゃ、断片的に聞こえてきてはいるんだ。ただすべて憶測の域を出ない。つい最近もガヴァナー鉄道会社を買収したあの一族のやり口について、疑問を投げかける声も出ていたし」
 ロイが目を細めた。
「誘導尋問ですか? 僕が何か知っていると?」
 とぼけながら、にやりとするように唇をゆがめる。
「あんたも人が悪いな」
「やれやれ、どっちがだよ、まったく」


 その時ドアが開いた。二人が同時に振り返ると、隊長のエイブリーが無表情に立っている。
「ロイド・クライン、ホイットリー氏の君への告発が、たった今取り下げられた。君は釈放になった。迎えが来ている。出ろ」
 アンディが思わず悪態をついた。だが、同時に心からほっとした表情も浮かぶ。
 迎えと聞いて咄嗟にウェスコットのことが浮かんだ。連絡もしていないのにどうしてわかったのだろう。それにしてもホイットリー達も、やけにあっさりと手綱を緩めてきたものだ。何かあったのか?
 まだ警戒を完全には解かぬまま、ロイは薄暗い廊下をアンディと共に歩いていった。訳がわからないながら、とにかく衣服を整え空の仕事鞄を受けとる。
「よかったな。ま、また暇ができたら協力してくれよ。待ってるぜ」
 言いながらぽんと肩を叩いたアンディに短く別れを告げ、ロイは警察隊本部から出た。だが、そこに待ちかまえていた男を見るなり、さっと身体をこわばらせた。

 こいつは驚いた……。ホイットリーの御大自らお出ましか!


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17/06/03