Chapter 13

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プリンス・エドワード・アイランド州  サマセット村


 プリンス・エドワード・アイランドに今年も夏が巡ってきた。州都シャーロットタウンから少し離れたサマセット村もまた、一年で一番陽気な季節を迎えたはずだった。
 青空の下、大地を吹き渡る風はまるで午後の子守唄を唄うように、野の草花を右に左に心地よく揺らし、村の赤土の大半を占めるジャガイモ畑も、今年の収穫を約束するようにすくすくとよく育っている。木漏れ日煌くメイプルの森は、日差しを浴びて一段と緑が色濃さを増していた。

 いつもと少しも変らない夏の風景……。

 だが、平和そのものの村の様子とは裏腹に、ここひと月間、男達の表情はまったく浮かなかった。
 目には見えないが常に大きな不安が、村のそこここに充満している。それはサマセット村に限ったことではなく、隣のエイバリー村でも、シャーロットタウンでも同様らしかった。
 村人達、中でも学識ある男達は複雑な面持ちで毎日届く新聞を心待ちにするようになり、これまで適当に読み飛ばされていた国際政治欄が真っ先に熟読されるようになった。
 人々は寄ると触ると、現在ヨーロッパを覆う諸国間の緊張関係、とりわけ彼らがその元凶と決め付けているドイツ皇帝ヴィルヘルム2世や宰相モルトケ、さらにおまけのようにロシア皇帝ニコライの名まで加わって、最近まで縁もゆかりもなかったこのドイツ人やロシア人を、いかにも旧知の仇のように引き合いに出しては、眉間に皺を寄せて語り合っていた。


*** ***


 その日、サマセット村の多くの女達が、ジョーンズ家の広い居間から開け放たれたテラスまで続くお茶のテーブルに集まっていた。
 月一回恒例の女達の社交行事、縫い物の集いである。村の全女性の約三分の一が、めいめい少しばかりドレスアップして洒落た裁縫箱を手に、この席に顔を出している。
 手と口を如才なく動かし、声高に隣村の噂話に興じているのは年配ミセス達のグループだった。その横のテーブルではもっと若い女達が一塊になって夢見るように話し込んでいる。三十にして未だ未婚の、いわゆるオールドミスと呼ばれる女達や、それに足をかけつつある二十代後半の女達も含まれていた。
 村の意見番を自負する初老のミセス・ハリスは、かつては村でも1、2を争う美貌だったと言い張っている。だが、今はどう見てもただの太り過ぎで、彼女が座るとやけに小さく見える椅子をぎしきしときしませながらどうにかその上に収まっていた。彼女は針を持った指先をゆっくりと動かしながらため息を付いて、隣でクスクス笑ってばかりいる乙女達に目を向けた。

「そんなふうに、いつまでも楽しそうにしていられれば結構ですがね。わたしはオーストリアがこのまま黙ってるわけがないと思いますよ」
「でも、だからどうだと言うんです? わたし達の愛するこの島にまでその害悪が及ぶとでも? 誰も彼も最近口を開けばその話ばっかり、もう正直言ってうんざりですよ」
 時間を無駄にすることなく、パッチワークキルトを手際よくはぎ合わせながら、ミセス・カーが辛らつに言い返した。そのパッチワークデザインは確かな技術を要する凝った代物で、密かに夫人の自慢の種だ。
「まったく辛気くさいったらありゃしない。ドイツ皇帝が海の向こうで何をしようが、この村は平和そのもので何一つ変わりはしませんよ。そんな心配をしてる暇に、娘婿の心配でもしていたほうがよほど建設的ってものです」
「娘婿といえば……。川向こうのクラインの息子……、この夏は珍しく家に帰ってきているそうだね?」

 ミラー夫人が何気なくそう言い出した途端、傍に座っていた娘のデイジーが派手な音をたてて手からはさみを取り落とした。若い女達のグループがいっせいに顔をこちらに振り向ける。誰かがコホンと咳払いしたのを引き金に、水を得た魚のように喋り始めたのは、ミセス・カーの姪のベルだった。

「ええ、本当に珍しいことですよね。クラインの小母さんも、ロイは普通はクリスマスしか帰ってこないのに、どうしたんだろう、何か失敗でもして首になったか、ってそれはそれは心配していらしたわ。でもね、小母さんも本当はとても喜んでみえるのよ。何しろ彼は十年も前にこの村から出て行ったきり、ちっとも小母さんと一緒に居なかったじゃないですか。だから小母さんったら、息子はあたしが死ぬ前に親孝行しに帰ってきてくれたんだ、もうこれで思い残すことは何もない、なんて、それは嬉しそうにおっしゃってたわ。ロイは縁起でもないこと言うものじゃない、ってたしなめてましたけどね。彼、毎日朝から晩まで古くなった家の修理や畑の世話をして、よく働いてるそうよ」
「まぁ呆れた! あんた、ものすごく詳しいじゃないの。さすが、眼の色変えて通ってるだけのことはあるわね!」
 その皮肉にむっとしたように、ベルは声の主をにらみつけた。
「誰が眼の色変えてるって? あたしはただあそこで二人きりじゃ何かと不便だろうから、たまにパイなんか焼いて持っていくだけよ。クラインの小母さんもここのところめっきり老け込んでしまわれたし」
「あーら、つい先月まではミセス・クラインが老け込んだからって、あまり関心があるようには見えなかったけど?」
「何が言いたいのよ! 失礼ね」
 まぁまぁ、と二人をなだめながら両手を広げてため息をついたのは、その前に座っていたチェルシーだった。
「もう、わかりきってることを言い合って喧嘩しないでちょうだい。考えることって誰でも同じよね」
 今度はさらに数人がため息をつく。若い一同は思わず顔を見合わせた。
「もしかすると……、他にもいて?」
 数人の女達が目を見交わして決まり悪そうに頷いた。
「あたし達も、よ」
「まぁ、呆れた! 過ぎたるは何とやらよ。ネッタ小母さんと二人で、食べきれないほどパイを貰ったって、ロイが困るだけじゃないの! そんなにたくさん二人で何日かかったら食べ切れるのよ! まったくみんな見えすいてると思わないの?」
 憤慨したように再び声を上げたのはデイジーだった。実は自分も同じ動機で似たようなものを持って、それも足しげく通っていたから尚更声が高くなる。
「デイジー? なあに、まさかあなたも、なんて言わないでしょうね。ボビーはどうしたのよ。あんなに誰の目にもわかるほどあなたに熱を上げて、毎週日曜ごとに通ってるじゃない?」
「何を言ってるのよ!」
「ほらほら、あんた達! 全員針を持つ手が止まっていますよ。手も動かしながらおしゃべりなさい。だけど、確かに正直なところ……」

 手伝いの少女と一緒にお茶を入れながら、混乱しはじめた会話を聞きとがめるように口を開いたのはこの家の女主人、ミセス・ジョーンズだった。
「あのネッタの息子は、何年も都会にいただけに実に男ぶりが上がったわね。わたしでも二度見直すくらいですよ。この村の同世代の男達は誰も彼も、完璧にかすんでしまいますよね。うちの息子ですらそうだもの」
 今度は誰からも異論は出なかった。少し間を置いて別の年配婦人が不思議そうに言った。
「しかしね、あの子は弁護士なんだろう? 何だって今頃こんな田舎に帰ってきて、何週間も居ついてるんだろうね。ここにいたって仕事のしようもないじゃないか。この村じゃ誰だって法院へ行く前に、相手の家に怒鳴り込んで済ませちまうよ」
「ロイは何も言わないのよ……」
 デイジーが再び顔を上げた。
「仕事はどうなの? って尋ねても、いつまでいるの? って尋ねても『さあ』ってちょっと笑うだけ。ロイの目を見るとそれ以上何も聞けなくなるのよ。向こうで何かあったのかしら?」

「……言いたくない訳がありそうなら、あまり詮索し過ぎないことだねぇ」

 ミセス・ハリスが出された紅茶をゆっくりと飲みながら、分別くさく締めくくった。


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17/07/08
今回は、ロイ本人が出ませんでしたね……。次回からです。。。