Chapter 13

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「以前から聞きたいと思ってたんだけど……。あなた、どうしてこの村に帰ってきたの? あんなにたくさん勉強してせっかく弁護士になったのに。向こうで何かあったの? せめてシャーロットタウンにでも行けばいいのにって、みんな言ってるわ」
「おいおい、そう来るかい? 勘弁してくれよ。何も君達に迷惑掛けてるわけじゃなし、いきなり村から追い出さなくてもいいんじゃないか」
「違うわよ! まさか! そうじゃないの、ただここに居て農作業してるだけじゃ、あなたには本当にもったいないと思うの。これはみんな一致してる意見よ。あ、あたしはもちろん嬉しいわ。けど、どうしてここにいるんだろうって……」
 微妙な言葉にこめた思いに気付いてくれないだろうか。どきどきしたが、ロイはかえって苛立ったように、手にしたタルトを一口でほおばって食べ終えただけだった。

「……ったく、相変わらず噂好きでおせっかい好きな連中だな」
 デイジーは慌てて話を変えようとした。
「どう、そのタルトのお味は? まだあるわよ」
「……ああ、本当にうまいよ。ありがとう。でも君こそどうしてさ? こんなところに来てる暇があるのかい? もっと他に君が行けば大喜びする奴がいるだろうに」
「あら、あなたは喜んでくれないの?」
「俺じゃ完全に役不足だ。君のそのきれいなブロンドにかけてもったいないよ、デイジー」
 やんわりした口調は、今や諭すような響きを帯びている。デイジーも思わずむきになった。
「あら、役不足だなんてとんでもないわ! あなた、自分が今どれだけ村で注目されてる話題の人か、知らないでしょ?」
「何のことだい?」

 ほら、やっぱりね。ロイの訝しげな顔を見てデイジーは仕方なさそうに微笑んだ。この人全然気付いていないんだわ。みんなの――もちろん自分も含めての――陰ながらの努力も、はかなく消えるわけね。

 そんな複雑な思いも知らぬげに、ゆったりと座ったまま、ロイは半ば上の空でカップを手に空を見上げた。
「ここはまったく変わらないな。何年経っても以前のままだ」
「そうね……。わたしは島から外に出たことはないけれど、大都市のトロントなんかとは比べものにもならないでしょうね」
「都会だからいいってことはないさ。故郷はやっぱりほっとするよ」
「ね、ロイ、あなた……、ブロンドはお嫌い?」

 小鳥のさえずりが聞こえる中、ちらちらと揺らめく木漏れ日と目の前の思わず寄りかかりたくなるような男らしい肩を見ているうちに、ふと甘い気持がこみ上げてきた。気が付くとデイジーは彼の肩に額をもたせかけるようにして、大胆にこう切り出していた。ロイが小さく身じろぎする。
「デイジー……」
 しばらく間を置いて見下ろした彼の眼は曇っていた。デイジーの顔に浮かんだ無言の問いを避けるように、ロイはカップを置くと立ち上がり、再び鍬をとりあげた。
「ご馳走さん。だけどもう休憩時間は終わりだ。今日中に半分くらいやってしまいたいんでね」

 震える手でピクニックの後片付けをしながら、不用意な自分の発言と行動を後悔する。
 やっぱりわたしじゃ無理なの? せめて落胆していることを知られたくないと思った。慌てて精一杯明るい声を出す。
「そう、今こそわかったわ、ロイド・クライン! やっぱり隅に置けない人ね、誰か隠してる恋人がいるんでしょ? この村の女達はみんな、それを知りたくてうずうずしてるのよ。ほら、早く白状なさいよ」
「……みんな物好きだな。よっぽど暇なのかい?」
「全然答えになっていないわ!」
「答える必要があるかい?」
 突然彼の領域から締め出されたのを感じ、唇を噛んだ。何気なさを装う声も少し震える。
「いいわ。それじゃまた来るわね。今度はフルーツケーキがいいかしら」
「もういいって……」
「わかった、コーヒーもね」
「………」

 橋を越えて小道を立ち去っていくデイジーを、ロイは鍬を持つ手を止め、複雑な面持ちで見送った。


*** ***


 それから数日後の午後、ロイはポニーに引かせた作業用荷馬車に積み込んだジャガイモの大袋を市場に届けに来ていた。

 馴染みのマジソン食料品店の主人は、今も変わらず昔ながらの店で商売をしていた。寄る年波には逆らえず、すっかり禿げ上がった額に白髪が両側にチョビチョビと残っている。太った身体を店のカウンターに預け新聞を手に顔をしかめていたが、ロイが入って行くなり待っていたと言わんばかりにだみ声を張り上げた。
「お前さん、見たかね? コイツはいよいよ本気の一大事かねぇ」
「どうしたんです?」
 覗き込んだ新聞は、珍しく今日の日付だ。

【ドイツ、ロシアに宣戦布告。外交努力最早絶望視】

 まるで諸国の苦悶が圧縮されたようなその外電文を一目見るなり、ロイは無言で頭を振った。
 代金を受け取ると、さらに議論したそうな店主を後に店を出て、重い袋を指定された倉庫に収めていく。気分はさらに憂鬱だった。

「見ろよ。お偉い弁護士さんがイモの袋担いでやがるぞ。おい、ボブ、彼女連れてきてこの様を見せてやれよ。のぼせ上がりも一度に覚めるぞ」
 突然彼の背後から投げつけるような声が響き、物思いを蹴破った。振り返ったロイの目に、見知らぬ男が二人近付いてくるのが見えた。一人はわざと嘲るような笑いを口に浮かべ、もう一人はこちらを見る目に敵意すら宿している。

 何だ? いったい……。
 強いて取り合わず全ての袋を倉庫に収めると、再び店に取って返してチーズやハムを購入する。しばらく店主と陰鬱な世間話をした後荷馬車に戻ってみると、さっきの二人はなおもうろついていた。
 無視して立ち去ろうとしたとき、威勢のいい方の男が近付いてきた。彼の古びた荷馬車をけなし、唾まで吐きかけてくる。
「何の用なんだ?」
 眉をひそめて問いかけると、男は嘲るように声を放った。
「へっ、何様だってんだ、よそ者同然のクセに偉そうにすかしやがってよ」
「血の気があり余ってるのか? 喧嘩売りたいなら、こんな人目に立つ往来じゃなく、いっそドイツにでも行けばどうだ。最新鋭の大砲ぶっ放して盛大に出迎えてくれるぞ」

 夕暮れ時の市場の往来で言い合う三人を囲むように、群れてきた人々の中から笑い声が漏れた。ますますカッとなった男の口から柄の悪い悪態が飛び出してくる。
 こいつは本格的だ。ロイは次第に引っ込みがつかなくなってきたらしい相手にゆっくりと言った。
「むやみにことを荒立ててもいいことは一つもないな。話があるなら聞こうじゃないか。来いよ」
 三人は商店の裏手に回った。興味深々の人々から離れるなり、威勢のいい男がさらに声高に喚き出した。二人の動きに充分気を配りながら冷静に観察しているロイの態度が、癇に障ったらしい。
「このスカしたインテリ野郎め! 学があるか知らないがいい気になりやがって! いいか! ぶちのめされたくなかったら、人の女に手を出すな!」
 いかにも乱暴な身に覚えのない難癖に、完全に呆れ果てた。
「いったい何の話だ? 人違いじゃないのか?」
「しらばくれるなよ!」
 襟首に掴みかかろうとする手を、ロイは瞬時に捕えた。


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17/07/17