Chapter 13
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それから数日後の夕刻。
村の長老達の呼びかけで、主だった人々が村の公会堂に呼び集められた。この事態に関する正式な説明があるらしい。
まだ始まる前から、公会堂はざわついていた。集まった男達の中にはやはり先走る者も多かったし、女達は大抵不安そうにひそひそ声で話し合っている。
「昨日電話でシャーロットタウンに確認してみたんだ。やはり義勇兵を募集しているそうだな。さっそく応募しようと思うんだが……君も行くかい?」
「もちろんだ。こんな田舎村から一足飛びに飛び出して、広い世界に出て行く大冒険の機会が来たんだ! これを棒に振る手はないじゃないか。お前はどうする?」
「行くさ、大声で叫び出したいくらいだ。これで退屈な日常から、しばしおさらばできるというものさ!」
一部のことさら熱狂的な若者達は、今にも飛び出さんばかりの勢いになっていた。
だが、村の長を兼ねている教会長老のハリス氏が登壇するや、皆話を聞こうと一応鎮まった。改まった口調で長老が説明を始める。
「……アスキス首相は、エジプト・スーダン総督であったホレイショ・キッチナー卿を新たに陸軍大臣に任命しました。彼の指揮の元、フランスへの遠征軍が派遣されることになります」
そこで、ふいにたまりかねたように女の声があがった。
「キッチナーですって? ええ、ええ、ボーア戦争だってもちろん覚えていますとも。それではやっぱりこの戦争も、似た類いの経済利権絡みなのだわ。どうしてそんな戦争にカナダが、うちの大事な息子までが出て行かなければならないの? あっちだけでやってもらえばいい話じゃないですか」
ざわめきと、なだめる声とが同時に起こった。長老はごほんと咳払いをすると、一呼吸おいて場が静まるのを待ち、顔を強張らせて睨んでいる先程の婦人に、同情的な表情で応じた。
「まぁ、奥さん方のご意見も色々あろうとは思う。お気持、非常によくわかりますな。だが、今はまず全体の決定事項を伝えねばならんからして……。それでですな……、これに対するカナダとプリンスエドワードアイランド州の対応も決まってきました。我が州に関して言えば、各村から応募した勇敢なる義勇兵諸君はシャーロットタウンにて合流し、キングスポートにて軍事演習を受けた後、航路フランスに向かうことになります……」
すでに志願している若者達の周りで拍手喝さいが起こり、このとき更に数人の腕に覚えのある男達が自分も行くと立ち上がった。更に拍手が沸いたが同時に深いため息と、すすり泣きがあちらこちらから漏れ聞こえてくる。無言でハンカチを目に押し当て、あるいは伴侶の肩に顔を押し当てる女達の姿がいたるところに見られた。
*** ***
いよいよ第一次義勇兵達が村を出発するというその前夜。
教会で緊急の礼拝と祈祷会がもたれた。
壇上に立った牧師が力強く説教を始める。ヨハネ黙示録の予言の句、ことにハルマゲドンの戦いについて書かれた箇所を延々と引用しながら、世界の安寧と平和的秩序を乱す傲慢不遜な輩に対し、神の軍となるべき使命の偉大さが強調されている。
「……『彼らは子羊に戦いを挑んでくるが、子羊は主の主、王の王であるから、彼らに打ち勝つ。また、小羊とともにいる、召された、選ばれた、忠実なものたちも勝利を得る』のです。神と主イエスの大いなる摂理に栄光あれ。明日旅立つ者達に、神の限りなき祝福と守りのあらんことを……アーメン」
牧師がこの言葉で締めくくるに及んで、さらに鼓舞された若者達の間に大きな歓声が上がった。
先日から黙って後方の席で全体の様子を見聞きしながら、ロイの胸中には胆汁を飲んだような苦い思いがわだかまっていた。
なぜ、この事態をそんなに喜べる……?
退屈しのぎの一時の娯楽のつもりか? それとも軍服・銃剣つきのただで出かける海外旅行だとでも?
戦争を、いったい何だと思っているんだ?
「この戦争は、それほど長くはかかるまいとの見通しが、現在アスキス内閣でも、世論でも大半を占めています。長くとも秋の終わりには終結し、世界は本来あるべき姿に立ち返ることでしょう。出征した者もクリスマスには帰れるとの見通しです」
説教が終わると、司会者が楽観的な見解を告げて、村人達を安心させるようにその礼拝を締めくくった。
祈祷会が終わり、教会の建物から夜の大路に出たときには、星の降るような夜空があたりを覆っていた。
歩き出したロイの背後から、突然野次のような声が飛び、思わず立ち止まる。
「お偉い弁護士さんは、どうやら腕っぷしには皆目自信がないと見える。前線に馳せ参じる勇気もないとはな。はっ、大笑いだ。やっぱり生っ白い顔で机に向かってるのがお似合いだぜ。おっと失礼、今はいも袋か!」
振り返ると、やはりワット・スマイルズだった。砂色の髪を短く刈り込み、カーキ色の軍服を意気揚々と着込んでいる。名前のようなニヤニヤ笑いを浮かべて、優越感とも見える得意気な表情でこちらを眺めていた。
また、こいつか……。
ロイは思わず目を細めた。咄嗟に売られた喧嘩を買いたい気にさえなってくる。一発この男をぶん殴ってやれば、もやもやしたこの胸の内も少しはすっきりするかもしれない。
だがこの男もまた、すでに自ら志願したのだと身につけている軍服が誇らしげに物語っていた。動機はどうあれ、その事実は敬意に値するのだろうか……。
「よしなさいよ、ワット!」
だが、ロイが口を開くより先に、彼の脇に来て鋭く相手に食ってかかったのはデイジー・ミラーだった。ワットがあきれたように肩をすくめた。
「こいつは女にしゃしゃり出てもらわないと言い返せないような腰抜けか。情けないなんてモンじゃないぜ。デイジー、あんたもこんな奴ばかり見てないで、もっと他にいい相手が……」
いるだろうが、と言いかけた彼を、背後から急いで近付いて来た兄のボブが苦い表情でさえぎった。
ボブ・スマイルズは軍服姿ではなかった。彼は憤慨して睨むデイジーの顔を硬い表情でちらりと眺めると、黙って弟を連れて歩き去って行った。
「何よ、失礼しちゃうわね! ああ、ロイ、気を悪くしたんじゃない? あいつ、誰に対しても突っかかる性質なの。まったく、礼儀も作法もわきまえない男なんて最低よ!」
「いや……、そんなことはどうでもいいさ」
ロイは言葉少なに答えると、ためていた息を吐き出した。晴れた夜空を見上げるうちに、一瞬かっとした頭も冷えてくる。
ワットが発した女絡みの侮蔑の言葉など、大した問題ではないのだ。そしてこれからの時代を生き抜くためには、作法も礼儀も教育も、どうでもよくなるときが来るのかも知れない。
とうとう、来たんだな……。
『長くとも、この秋の終わりには終結し、クリスマスには帰れると……』
いや、この戦争はそれほど簡単に終わりはしない!!
【この戦争は少なくとも数年は続くだろう。そして、終結までの間にこれまでの戦争からは考えられないほどの犠牲を必要とすることになる】
昨日の新聞で他ならぬキッチナー卿自身が、楽観的な周囲の意見に対してこう見解を述べていた。ロイの中にも、彼の言葉への確かな共感があった。
そう。ドイツの数十年の軍備を侮ることなど、誰にもできはしないのだ。
長い長い夜になる……。
まだ誰も見たこともないほどの、漆黒の闇に……。
いつも変わらず瞬いている夏の星座を眺めながら、彼はひとつ深いため息をついた。
無言で物思いに耽るロイの傍から、デイジーの心配そうな声がした。
「あなたも、やっぱり行ってしまうの?」
彼ははっとしたようにデイジーを見返した。すぐには答えられなかった。最近めっきり歳を取り、今日もベッドで体不調を訴えていた母親のこと、そしてトロントの彼女のことが、脳裏に続けて浮かんで消えた。
「君は……行くべきだと思うかい?」
答えられずにいるデイジーに静かに微笑みかけると、歩み寄ってきたミラー家の人々の方へと彼女を促した。
まだこちらを見ている彼女を残し、ロイは一人重い足取りでゆっくりと家路についた。
注釈 1) ボーア戦争 1899年、南アフリカのボーア人の国トランスヴァール共和国とオレンジ自由国で発見された金とダイヤモンドの豊富な鉱脈に目をつけた英国が両国を圧迫、2国は同盟して10月11日英国に開戦した。 約2万のボーア軍に、英国はカナダ・オーストラリア・ニュージランドからの義勇兵を含む50万の圧倒的大軍で侵略、ボーア軍を破った。ボーア人はゲリラ戦に転じ抵抗したが1902年敗北した。(ブール戦争)
注釈 2) ヨハネの黙示録 17章14節を引用
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17/07/25
久々の、ダイアリー