Chapter 17

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『 親愛なるパトリシア・ニコルズ、
  あるいはすでにアーノルド・ホイットリー夫人になってしまっているかもしれない君に……。

 パトリシア、その後元気で過ごしていますか? ようやく勇を振るってこれを書いています。
 まったく、君に手紙を書くことは、僕にとって戦場に行くよりはるかに勇気が要るようです。
 実はこれまでにも、何度か書こうと思いペンを取ったのですが、どうしてもうまく書けず、出すことができませんでした。

 まず、報告です。
 この三月の終わりに、母が亡くなりました。
 まだ寒い夕暮れに、苦しまず静かに眠るように息を引き取りました。
 去年の秋の終わりに、わざわざ家まで来てくれてありがとう、と君に伝え損なったと言って、母が生前大層残念がっていました。何故か今夜は、君にどうしてもそれを伝えたくなって、今、眠りにつく前に狭い寝台の上でこれを書いています。
 母は君のことがとても好きでしたよ。ありがとう。

 今、僕はケベックの軍事演習キャンプに来ています。もうお察しでしょうが、母を葬ったその足で僕も義勇軍に志願しました。キャンプが終わるのは今月の半ば過ぎ、おそらく六月には大西洋を渡る艦に乗っているでしょう。
 これでようやく、旅立っていった多くの同胞達と同じ位置に立つことができたわけです。今、軍事訓練と言う名の旅立つためのあらゆる準備を整えているところです。
 これからしばらくは……、おそらくこの戦争が終わるまでの間は、あまりあれこれ思い悩む必要もないでしょう。ただ目の前にある、どこに続くとも知れない道を、大勢の仲間と共に進んでいくのみです。
 率直に打ち明ければ、まさか自分が不特定多数の相手をただ殺すためだけに銃剣を握り、砲台の前に立つ日が来ようとは夢にも思いませんでした。
 キャンプで支給された銃を初めて手にしたとき、その冷たくて重い鉄の感触の馴染みなさと同じくらい、強い嫌悪と抵抗感を覚えました。いくら敵が仕掛けてきた戦争であり、まさに『荒らす憎むべき者』達を、永遠に独仏国境線の向こう側に追い払うための戦いだ、と言ってもです。
 けれど、今の現実がこの戦いを避けられぬものとして要請している以上、やむを得ないのだ、と思うようになりました。
 ドイツ軍は今日も、あらゆる卑劣な手段でヨーロッパ各地を攻撃し続けています。その結果、多くの無辜の人々の生命と安全と自由とが、徹底的に脅かされている以上、あらゆる犠牲を払ってでもそれを食い止めなければならないのは厳然たる事実でしょう。大洋を隔てたカナダにいる我々にとっても、もたらされる脅威は同じなのかもしれません。
 先のイープル戦に出たカナダ部隊の三分の一が失われたと聞きました。卑劣極まる敵の攻撃の前に、彼らが敵前逃亡せずその場に踏みとどまって、あくまで戦い抜いたことで、キャンプの士気も一気に高まっています。不思議に怖さはありません。西部戦線を最後まで防衛しきることが、今世界で最も必要とされることであり、そのために行くと決めた以上、自分にできる最善を尽くさなければならない、そう覚悟するばかりです。

 パトリシア、おそらく向こうに行っても、思い出すのは君のことばかりでしょうね。

 一年前のあの日、ウェスコット事務所で偶然君と再会できたことを、今も心から感謝しています。あれは、僕の無意識の願い、十年の間、もう二度と会うことはないと思いながらも、ずっと君を忘れられず密かに願っていたことを、天が知りかなえてくれたとしか考えようがなかったからです。
 君に会うことのなかったこの十年、大学や街角で黒髪の少女を見かけたときなど、よく君のことを思いました。もちろん、色んな女性と知り合いましたよ。時にはほとんど完全に、君を忘れたと思ったくらいです。でも結局、誰も僕の中にいる君を、すっかり追い払うことはできなかったのです。そう、まるで君が僕の中に完全に根を下ろしてしまったようでした。

 親愛なる僕のパット、だから最後に、君にこう呼びかけることを許してください。

 村で、かつて一緒に歩いた道を通るたび、お下げ髪で勝気な女の子だった君を懐かしく思い出していました。
 君はとうに忘れてしまったでしょうが――まだ僕達が子供だった頃、僕が初めて君にキスした日、おそらくあの時に、僕は君に本気で恋したのだと思います。
 あの頃から、僕は君を愛していました。今も……正直に言ってしまえば……君に恋焦がれています。この先もきっと変わらないでしょう。君が誰と結婚しようが、僕にとって、君はずっと僕のパットです。君は迷惑に思うだろうが、こればかりはどうにも仕様がないのです。
 君と別れて村に戻ってから一年近く、大して生きているとも言えないような暮らしをしてきました。君と過ごしたあの短い初夏の日々は、何物にも変えがたく記憶にしっかりと焼きついています。今、こうして身内が残らず天に召され、天涯孤独になってみると、それがいっそう身に滲みるようです。

 だから……パトリシア。 どうか幸せになってください。

 一度は君を幸せにしたいと本気で夢見たこともありました。でも、何も持たない僕には、やはり到底かなわぬ夢でした。今はただ君の幸せを祈るばかりです。どこにいても、いつも、君の幸福だけを願っています。
 君を思いながら、愛すべき人々の未来のために、戦って来ようと思います。

 君が今もチャンドラー邸にいるのか、あるいはホイットリー邸にいるのかわからないので、この手紙はやはりウェスコット先生に託そうと思います。
 願わくば、この手紙が無事に君の手元に届きますように!
 ああ、もう消灯時間です。体を大切に。どうか元気で。
 それでは。
                君の友達 ロイド・クライン  』


*** ***


 最後の方は大急ぎで綴ったらしく、筆跡も文章もかなり乱れていた。サインに至っては判読に苦しむほどの殴り書きになっている。

 ぬぐってもぬぐっても溢れ出る涙に、次第に霞んで見えなくなっていく文字達を必死で追いながら、ようやく全てを読み終えたときには、顔中がぐっしょりと濡れていた。
 震える吐息をつくと、パトリシアは皺になった数枚の薄い便箋を、まるで彼自身であるかのようにしっかりと胸に抱き締めた。

「……ロイったら、なんてお馬鹿さんなの。わたしがあなた以外の誰と結婚するっていうの? 『幸せになれ』ですって? あなたなしに、わたしが幸せになれると本気で思っているのかしら。そんなの永遠にあり得ないってことが、まだわかっていないんだわ。それにしても……」
 手の甲で涙をぬぐいながら、窓に映る青い空を見上げて完全に呆れたように呟く。
「こんな大切なことを、一人で何もかも決めてしまって、今まで何も言わないなんて……。まったく、男の人って本当に仕方ないのね」

 その顔には、これまで誰も見たことがないほど晴れやかな、心からの笑みが浮かんでいた。


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17/09/29
近況など少々、ダイアリー