Chapter 21
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食事が進んでいくうち、楽器のできる初老の男が二人、青空の下で気持ちよさそうに弾き始めた。アコーディオンとチェロが、たまに音をはずしながら軽快にダンス曲を奏でる。
教会横の空き地は、たちまち臨時のダンスホールに変わった。若い男の数が乏しいのが、少々の難点だったが。
「別嬪さん、ちょっと俺と踊っておくれよ」
すぐに二人の脇から、小柄な男が手を差し出してきた。ちょっとこちらを見てから笑顔で立ち上がったパトリシアを見送って、ロイはむっつりと黙っていた。
行くんじゃない、と言いたいのを昔馴染みの友人の手前、我慢しているのがありありと伺える。
ふいに、大きな手にバシンと背中を叩かれ、一口飲んだビールにむせそうになった。
「こういうご時勢だからこそ、楽しむ機会には楽しまんとな。おい、ロイド、花婿が何ぼさっとしてる? お前こそ、さっさと花嫁と踊ってこんか!」
これまたビールのジョッキを手にしたマジソン氏が大声でせかしてきた。だが、商店主に向き直ったロイの顔は真剣そのものだった。
「俺が不在の間……、パトリシアのこと、よろしく頼みます」
陽気だったマジソン氏の顔が、ふいにくしゃっとゆがんだ。皺の寄った目じりに滲んだ涙をぐいとぬぐうと、もちろんだ、もちろんだとも、と繰り返しながら、さらに彼の背中を何度も叩き続けた。
「もうすぐ次の曲が始まるじゃないかね。主役が踊らんでどうするんだね?」
隣に座っていたハリス長老からも薦められ、ロイは照れくさいのをこらえて立ち上がった。本当は早く踊りたくてたまらなかったが、わざとゆっくり、彼女に近付いていく。
曲の切れ間を見計らい、彼女と踊っていた男の肩に手をかけると、交替だ、と無言で告げる。
相手は笑って、花嫁の手を花婿に引き渡した。ロイを見るなり、パトリシアの顔がさっと輝いた。
「嬉しいわ。あなたと一番踊りたかったんですもの」
上げたベールの下に浮かんだまぶしいほどの微笑。ロイは今の瞬間も一生忘れないだろうと思った。照れたようにわずかに俯いてから、はにかんだ笑みを浮かべて彼女の手を取る。
少し緊張しながら、華奢な肩を抱き寄せると、アコーディオン奏者が心得たとばかりにスローなバラードを奏で始めた。
見つめ合って踊り始めた二人の間から、次第に周囲のざわめきが消えていく……。
「あなたと踊るの、これがはじめてよね。……結構上手なのね」
パトリシアは、ほぅっとため息をついて、ロイのリードに身をまかせた。
「知らなかったわ。あなたが踊るところを、一度も見たことがなかったんですもの」
「そう言えば……そうだったね」
ちょっと笑って、説明するように付け加える。
「大学時代に少し踊ることもあったけど……、その程度さ。大したことはないよ。トロントの社交界で慣れてる君とは大違いだ」
つい混じってしまう皮肉に気付き、我ながら苦笑したくなった。だがそれには取り合わず、彼女は素朴な会場と、周りで踊っている人達を眺め、嬉しそうに微笑んでいる。
「トロントのダンスパーティより、今の方が数倍も楽しいわ」
「本当に……、君には驚かされることばかりだよ」
感動をこめて呟いたロイの目が、心なしか潤んでいた。突然、自分も泣き出しそうになって、パトリシアは慌てて目を伏せ、彼の胸にもたれ掛かった。
「今ってすごく貴重な時間よね。マジソンさんに感謝しなくてはいけないわね」
「ああ、まったく……」
軽やかにターンした彼女を受け止めるロイの手が、次第に熱っぽさを増していく。
曲が終わったとき、二人を眺めていた若い女達の間から、いっせいにうらやましげなため息が漏れ、周囲から拍手が沸いた。
どうやら注目されていたらしい。そう気付いて頬を紅潮させながら席に戻った二人に、暖かい冷やかし文句や口笛が飛ぶ。
こうして、戦時結婚式と即席宴会はお開きになった。
人々が最後のご馳走を飲み食いしている間に、ロイの友人がセットしてくれた二人がけの馬車に乗り込むと、二人は一足先にその場を後にした。
我が家に帰り着いた時には、もう夕暮れになっていた。馬を木につなぐと、ロイは馬車から降りかけた花嫁を両腕にさらうように抱き上げた。
はっと見上げたパトリシアの視線を、燃える眼差しが捉える。レースのドレス越しに、彼女の身体の震えが伝わってきた。
「ミセス・パトリシア・クライン、僕らのささやかな新居にようこそ」
ちょっと気取って囁いた彼の声も震えていた。弱々しく微笑み返した彼女の唇を、もう待ちきれない、とばかりに唇で覆い尽くす。
それは、その夜の終わりない愛の営みを予感させる、熱く激しいキスだった。
*** ***
深い森に身をひそめ、連合軍の兵士達がドイツ軍の陣営を息を殺して睨みつけていた。
「攻撃準備!」
明け方の空に司令官の声が響き渡る。
「攻撃開始!」
攻撃命令と共に耳をつんざくような砲声と銃声が響き始めた。泥沼のようになった大地が、再びおびただしい血しぶきを呑みこみ、どす黒く染まっていく。
数ヤードにわたり並び構えた銃口から、銃撃音が再び炸裂した。的にしている敵の兵士達が、次々とろう人形のように倒れていくのを、乾いた目で見ながら夢中で撃っていると、向こうの空から何かが飛翔し、破裂音が聞こえた。
途端に空気が薄い黄色に変わっていく。鼻を突く刺激臭と同時に、そこここで唸り声とむせる声が沸き起こり、味方の兵士がバタバタと倒れ始めた。司令官の慌てふためいた声が響く。
「第三連隊、直ちに撤退せよ!」
だが、すでに身体がしびれ始めていた。自分もまた、ドイツ軍の放った塩素ガスに神経をやられたらしい。くらりとして、泥の大地に倒れ込んだ。目がかすみ始める。泥の中でもがいている自分がウジ虫になったような気がした。
麻痺し始めた感覚の中で、それでも握り締めている小銃だけが鈍い重みを伝えてくる。
一体いつまで、この暗黒の夜は続くのだろう……。
*** ***
「ロイ、ロイ、大丈夫……? 起きてちょうだい」
優しい声と手に揺り起こされ、ロイは大きく身じろいで重い瞼をこじ開けた。
ぼんやりした視界に入ってきたのは、淡い月明かりに照らされた自室の天井と、覗き込んでいるパトリシアの心配そうな顔だった。
ああ、ここは戦場ではないのだ……。まだ!
そうわかると、彼は荒い息をつきながら、キルトの下でゆっくりと上体を起こした。実に生々しい戦場の光景だった。賜暇で村に戻って以来、無意識の中に封印していた恐れが、よりにもよって新婚初夜に蘇ってくるとは……。まだ心臓が激しい音を立てている。
深呼吸して「水を……」と乞うと、パトリシアが急いでベッドサイドの水差しを取り上げ、コップについで渡してくれた。
「ひどくうなされていたわ。悪い夢でも見たの?」
冷たい水を一息に飲み干しても、まだ緊張しているロイの身体を宥めるように、肩にそっと手をかけ、汗ばんだ額に額を寄せた。
そんなパトリシアの愛に満ちた瞳をしばらくぼんやりと見つめていたが、ふいに闇雲に腕を回すと、驚きの声をあげた彼女の裸身を荒々しく抱き締めた。
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17/11/14