Chapter 3

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 パーティなんて大嫌い……。

 支度をしながらパトリシアは思わず顔をしかめた。
 美しく着飾って、にこやかに愛想を振りまきながら、つまらない話に相づちを打っていなければならないなんて本当に性に合わない。ましてこんな時に、当たり前のようにそれを要求する伯母達やアーノルドが恨めしかった。
 だが、父の突然の不明は他家にはもちろん、ホイットリー家の親族にも内緒になっているのだから、やむを得ないのかもしれない。

 ドレスを着るとメイドがすぐに背後に回って、細かいボタンを留めていく。先日アーノルドが買ってくれた、薄いクモの巣のようなレースがついた薄紫のサテンのドレスだった。髪をカールさせて、ドレスと同色のリボンでまとめる。前髪は少しだけ下ろしてみた。
 ロイが今の自分を見たら、どう思うかしら?
 ふとそんなことを考えた途端、頬が熱くなったような気がした。

「素敵ですわ、お嬢様。どうかお急ぎくださいませ」
 メイドに心配そうに言われてはっとし、口元になんとか微笑を浮かべて見せながら、玄関ホールでいらいらと待ち受けるアーノルドの所に下りていった。
 彼女の姿を見るなり、アーノルドは機嫌を直したようにニヤリと笑って肯いた。
「待ったかいがあったようだな。僕のかわいいパティ。君の方が、フェリスより数倍美しいよ」
 そう言いながら、彼女にキスするように頭を下げる。思わず顔をそらしたので、彼の唇は頬をかすめた。
「どうしたんだい? 機嫌が悪いのかな?」
「お義姉様のことをそんなふうに言うなんて、よくないわ」
 咎めるパトリシアの言葉におかしそうな声を上げ、アーノルドは彼女の白い腕をとると、屋敷の前で待ち受ける車の方へ歩いていった。


*** ***


 ロイはその日、朝から気もそぞろだった。
 はやる気持を抑え、どうにか依頼人との面談に集中するにもかなり骨が折れた。打ち合わせを早目に切り上げ、事務所に戻ってくると、デスクで新聞を読んでいたウェスコット氏が顔を上げ、うなるように言った。
「これはなかなか、平和をアピールするのによい光景だと思わんか。だが、あのドイツのヴィルヘルム二世のことだ。また何かよからぬことでも考えていなければいいがな。お前はどう思うかね? わしは、どうもきな臭い匂いがしてならんよ」
「……何か目新しい記事でも?」
 どうでもいいことだったが、無表情に上司と新聞を見比べ、ロイは帽子を掛けて氏のデスクに歩み寄った。ウェスコット氏は渋い表情のまま、見ていた新聞を彼の方に投げて寄越した。
 それはドイツがラインラント観光を解放し、多くのアメリカ人がライン川くだりを楽しんでいるという内容の、写真入り記事だった。二度にわたるバルカン戦争が二年前に終結して以来、ヨーロッパ各国はいつになく平和な雰囲気が漂っている。たいして興味はなかったが気を落ち着かせるため、ロイは黙って目を通した。

「これのどこが問題なのか、よくわかりませんね。大いに結構じゃないですか。だいたいいくら戦争したくても、ドイツだって今の時期、まさか軽々しく動いたりはしないでしょう。それに僕の意見を言わせてもらえるなら、大西洋の彼方のドイツ皇帝の心配などより、今、目の前のトロントで起こりつつあるかもしれない問題の方が、余程重大事に思えますがね」
 そう言いながら、新聞をデスクの脇にパサリと置くと、氏の渋い表情に臆するふうもなく、問いかけた。
「で、以前お願いしたもの、手に入れていただけましたか?」
「ロイド・クライン」
 ウェスコット氏の表情が一層険しくなり、声に警告するような調子を帯びた。
「どうやら、お前はまだあの一件にこだわっとるようだな? いいか。何度も言うが、ミス・パトリシア・ニコルズの依頼はもうとっくに破棄されているんだぞ。ミス・ニコルズにしても、あれから三か月もの間、全く何も言ってこんではないか。おそらく父親のことも、もう消息が分かるなり連絡が取れるなり、あるいはどこかよそへ依頼するなりしたんだろうさ。それなのに何をいつまでも未練がましく、仕事の時間を割いてまであちこち調べ回ったりしているんだ?」
 ロイは手をあげ、一本の指先で額を軽くこすった。やがて、事務的な口調で答える。
「いいえ、それは違いますね。残念ながら依然として、ミスター・ニコルズの行方は定かではないままになっています。これは二日前に、あの屋敷に出入りしているメイドから、確認したばかりです」
「さてさて、いったいどうやって確認しとることやら」

 頭を振り振りつぶやかれた皮肉を無視し、更に畳み掛けるように言った。
「そもそも僕にとって、これは依頼云々以前の問題です。どうやら僕は、目の前で起こっているかもしれないゴタゴタに、古い友人とその家族が巻き込まれているらしいのを、黙って見過せるほど冷淡にはなれない性分のようで……」
「ふん、そんな体裁ぶったきれいごとばかり並べても、お前の本音など、わしにはよくわかっとるぞ。だいたい最初からおかしいと思っとったんだ。いくら数年振りに会ったといっても、普段冷静なお前があそこまで取り乱したのを見るのは、あの時が初めてだったからな」
「………」
「し、か、し、だ。だいたい今係争中の裁判での、向こうの証人に対する反対尋問の詰めは終わったのか。そちらの方がよほど、お前にとって急を要する問題のはずだが」
「………。それは、もちろん……、次の木曜の会合までに必ず」
 苦しい言い訳を鋭い声が遮った。
「そら見たことか、言わんこっちゃない。どうやら今のお前は、肝心の仕事にまで支障をきたしとるようだ。お前がそこまで脱線するのを、これ以上、黙って見過ごすわけにはいかんな」
 そこでウェスコット氏は、声を低めて諭すように言った。
「いいか、ロイド。公私をわきまえろ。第一お前は探偵でも警察官でもないんだ。もういい加減で、目の前の案件だけに集中すべきだと警告しておくぞ。駆け出し弁護士は一件一件でこつこつと評判を築くもんだ。そんな片手間仕事でどうする? お前の気持もわからなくもないが、もうミス・ニコルズの件は忘れて、きれいさっぱり手を引いた方が賢明だと思うがな」
 反論しようと唇を開きかけ、再び思い直したようにロイはじっとおし黙った。それは今更言われるまでもなく、この三か月間、彼自身が嫌というほど葛藤してきたことだったからだ。

 本当になぜ、自分はまだあの件にこだわっているのだろう。パトリシアだって、もう二度とここに来るはずもないものを。
 厄介事に関われば、面倒に巻き込まれるだけなのに……。

 幾度そう自らを説得し、吹っ切ろうとしたかわからない。だがその都度、あの時、チャンドラー邸の書斎でパトリシアが見せた、うなだれた表情が目の前にちらついてどうにもならなかった。ひどく頼りなく、やるせない瞳。まるで一人ぼっちだというような、思わず手を差し伸べ、抱き寄せてやりたくなる姿……。
 そしてそれと同時に、いつも腹立たしく思い出すのは、彼女の婚約者、あのふんぞり返ったいまいましいアーノルド・ホイットリーの顔だった。

 婚約者にあんな顔をさせておいて、気付きもしていない無神経野郎! 

 思い出すたびに、胸くそが悪くなる。金持ちで、家柄はトロント有数かもしれないが、人間としては最低の奴だと、なぜ彼女はわからないのだろう?
 あいつが、パトリシアを幸せにできるわけが……。
 そこで、ふと自嘲気味に呟く。
 いや、あるいはそんなことなど、家柄や莫大な財産の前には、大して重要な問題ではないのかもしれない……。


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17/01/07