Chapter 6

page 3


 ようやくテーブルを片付けると、ロイはペンとメモを手に彼女の前に座り直した。
「疲れてるだろう? 今は簡単に話してくれればいい。詳しいことはまた明日にしよう」
 こう言う彼は、今しがた彼女に情熱的にキスし、あれこれ世話を焼いてくれた幼馴染の男性とはまるで別人のようだった。
 これが弁護士のロイド・クラインなのね……。なぜかどきりとする。ロイは彼女が抱えていた文箱の中味を確かめながら、問いかけた。
「さあ、いったい何があったんだ? それにこれは何だい?」
「あなたが今持っているのは……、お父さんが書斎に残していった大切な書類らしいの。アーノルドの部屋で見つけたわ。お父さんの行方不明はあの人達のせいだった」
「何だって!?」
「本当なの。今日、伯父様のお屋敷で偶然聞いてしまって……」

 パトリシアの口から言葉が溢れ始めた。しかし、今日何のためにホイットリー邸に行ったのか、というそもそもの発端を説明し始めた途端、ロイは耳を疑うとばかりに彼女を遮った。
「ちょっと待った。今、何と言ったんだい?」
「だから、トーマス伯父様に会いに今朝ホイットリーのお屋敷に行ったとき」
「その前さ」
「……アーノルドとはやっぱり結婚できないから、わたし達の婚約を解消してもらおうと思って……」
「それは……また……、どういうわけで?」

 ロイの声がひどくざらついた。途端に自分の声もかすれるのがわかる。
「わたし……、アーノルドのことをまったく愛していなかったんですもの。だからあの人とは結婚したくないし、こんなことになった以上、もう決してできないわ。あなたのおかげで、それがやっとわかったから……」

 ふいに、自分が突拍子もないことを言い始めているのに気づき、消え入りそうな声になった。こんなことは女の側から言い出すべきではない。少なくとも彼女のこれまでの常識ではそうだった。
 それでも、ロイが一言も言ってくれないのなら、どうしても一歩、踏み出してみずにはいられなかったのだが、その後すぐに、気恥ずかしさが込み上げてきて目を伏せてしまう。そのせいで無言のまま見返すブルーの瞳にさっと濃い影が差し、心からの安堵と苦悶の色が同時に浮かんだのを見落としてしまった。
 彼はもうそれ以上、突っ込んで尋ねようとはしなかった。完全に職業的な態度に戻ってしまい、彼女を促しては、ひたすら質問したりまた聞き方を変えたりしながら、説明を聞き取っていく。

 やっぱり、何も言ってくれないのね……。
 心に、失望感が広がっていく。


 一度は落胆したものの、十分も経つうち、パトリシアは再び感嘆の色を隠せなくなってきた。彼は実に聞くのが上手だった。こんなふうに巧みに誘導されたら、たとえ隠しておきたいことがあっても、最後には洗いざらいしゃべってしまうに違いない。
 だんだん声が上ずってくるのを感じながら、ついに今朝聞いた話と、以前から感じていたことも含め、覚えている限りのことを残らず打ち明けていた。


「やれやれ、何てことだ!」
 話が終わりに近付き、大体のところがわかると、ロイがついにメモを脇に放り出した。半ば唖然とし半ば感心したように声を上げる。
「どんなに危険だったか、自分で自覚してなかったのか? もし見つかっていれば、君も親父さんと同じ目に合うかもしれなかったんだぞ」
「そ、そうかしら……。でも、大丈夫だったわ。こうして無事にここまで来たんですもの、もういいじゃない……。そんなことより、ロイ、だから伯父達は、何かよくないことをしているのよ。そのせいで、お父さんと意見が食い違ったみたいだった。お父さんが『うん』と言わない頑固者で阿呆だって言って。多分それで……」
「彼らの予定が狂った。知り過ぎたミスター・ニコルズを説得し、加担させるまで、どこかに閉じ込めているってわけか」
 うなずきつつ考える。それではあのパーティの時、小耳に挟んだ会話はこういう意味だったのか。なるほど……。
「カルティエ・スクエア……」
 パトリシアはさらに続けた。とても大事な場所の名だったから、道具入れの中に隠れながらも、忘れないように幾度も復唱していた。
「そう、カルティエ・スクエアって聞こえたわ。アーノルドが言っていたの。どこにあるかわかる? そこに父がいるって」
「さあ……。それだけではすぐにはわからないが、この街ではないようだね。明日さっそく調べてみよう。それにしても、さすがトロント一結構な御一族だな」
「意地悪ね!」
 疲れたようにつぶやく彼女を、ロイは心配そうに見た。もう休ませてやらなければ……。そう思いつつも、さっきの文箱を手に取ると、中から書類を取り出し、ゆっくりと一枚一枚めくり始めた。

 ひどく身体がだるかった。だが、ロイの顔つきが変わったのを見て、パトリシアはもう一度背筋をしゃんと伸ばした。不安と期待で胸が締め付けられる。彼はその書類中のある一枚にとりわけ興味をそそられたかのように、書き込まれた数字と名前を丹念に比較していたが、ついに顔を上げて、こちらを見た。
「これは、どうやら複数の鉄道債の価格変動表のようだね。ラトランド商会のサインがついている。なるほど……、すると君のお父さんが持っている債権はこの中のどれだろう?」
「わ、わたしには難しいことはわからないけど……」
 あのときの伯父の言葉を、懸命に思い出しながら答える。
「伯父は言っていたわ。父が証書のありかを言わないって。あれは」
「証書か……。この表にある債権の証書のどれかかもしれないな。確かに……。待てよ!」

 不意に思い出したというようにロイは自分のデスクに駆け戻り、引き出しの中にまとめてあった書類の束を引っ張り出してきた。そして、息を詰めているパトリシアの前で、その表に書かれた数字と手持ちの書類の数字をつき合わせながら仔細に検討していたが、しばらくして顔を上げると、ただ感心したようにロイを見つめている彼女に向かって、にやっと笑ってみせた。

「確かに、今年の二月から随分跳ね上がっているね。このラトランド商会を経由して購入した鉄道債だけが、異常な高値になっているな……」


NextNexttopHome

-------------------------------------------------
17/03/03