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 二月上旬。

 カンザスシティは、一年で最も寒い時期を越えようとしていた。今朝の気温はマイナス8度。日中でも気温はさほど高くならなかった。凍てつくような冷気が全身を刺すようだ。

 白い息を吐きながらショッピングセンターを出て駐車場に向っていたクリフォード・オースティンは、ふとショーウィンドウの前で立ち止まった。どうやら中のヴァレンタイン用ディスプレイを、手直ししているところらしい。ディスプレイ自体はさして目新しいものではなかったが、その作業をしている二人の女性が、彼の目を引いた。いや、正確に言えば、その作業をしている女性を傍らで手伝っている女性、の方だ。
 年齢は二十代なかばくらいだろう。光沢のあるショートのストロベリーブロンドが白い肌に良く映えている。身につけているのは何の変哲もない黒のタートルセーターとジーンズだが、その組み合わせは、彼女のスタイルの良さを充分に表していた。
 寒さも忘れて、そのまましばらく眺めていると、ふいに彼女が視線に気付いたかのように、こちらに顔を向けた。

 二人の視線が一瞬絡み合う。

 ポケットにつっ込んでいた彼の手に無意識のうちに力が入った。それでもまだ、そのまま息を殺して見つめ続けていた。だが、彼女はちょっと目を伏せただけで何事もなく、また作業を続けている。しばらくしてから、ようやく彼はその場を離れた。大きなブルーグレイの瞳が、妙に印象に残った。
 あれほど人目を引く子がいれば、もっと早く気が付いただろうに、いったいいつ入ったんだ? そんなことを考えながら、クリフは車に乗り込んだ。

 市内からI−70に入り、左右に広がる広大な枯れ平原を見渡しながら、マウント・リバー牧場に戻る。ランチハウスの暖かな居間でくつろぎながら、さっき買った新聞に目を通していると、家政婦のミセス・グレイがコーヒーを運んできた。
 生返事で受け取り、カップを口に運ぶ。彼女のことがまた脳裏に浮かんだ。
「まあまあ、何かいいことでもあったんですか。一人でにやにやなさって」
 そんな呟きが聞こえ目を上げると、少しあきれたような家政婦の視線とぶつかる。ミセス・グレイが首をかしげながら居間を出て行くまで、クリフは新聞を盾に、顔を隠していた……。



 それから一週間ほど過ぎた寒い午後、降り始めた雪の中を、彼は再びそのショッピングセンターを訪れた。彼が経営しているマウント・リバー牧場も今の時期は比較的暇だった。クリフはミセス・グレイから引き受けた買い物を探して店内を回っていた。だが歩きながらも気がつけばあの時の彼女を探している。ほんの一瞬見かけただけなのに、どうやら真剣にもう一度会ってみたいと思っているようだ。
 馬鹿な。お前はいったい何を考えて……。そう戒めながらレジまで来たとき、幾つか並んだ台の一つに、赤いショートヘアが見えた。彼女だ! その瞬間、彼はそのレジ台に並んでいた。店内はまだ比較的すいている時間だが、それでも少し順番を待たなければならなかった。
 彼女は客と余計な会話もせずに、ほっそりした手を素早く動かしては、どんどん品物を取って計算していた。クリフはとっさに彼女の左手に目を走らせた。きれいな指には、何もつけていない。ということはまだ独身か。やれやれ。
 あらぬことを考えて、妙に安心していることに気付き、思わず苦笑した。少しいらいらしながら前の客の買い物が片付くのを待って、ようやく彼女の前に立つ。少し緊張しながら品物を置くと、彼女の指先が同じように器用に動いて、一つ一つ脇に寄せていった。彼の目はその間、食い入るように彼女の姿をとらえ続けていた。
 その時ふいに、考えてすらいなかった言葉が、彼の口から飛び出した。
「君さ、今日は何時に終るのかな? そのあと何か予定でもあるかい?」
 動いていた手が一瞬止まった。彼女は顔を上げ、大きな瞳を訝しげに細めてこちらをじっと見つめた。だが沈黙したまま、再び視線を残りの商品に戻してしまった。
「85ドル60セントになります」
 クレジットカードをだしてサインする。くそっ、反応がないか。クリフは内心舌打ちしたが、売り場を出る前にやはり振り返ってしまった。意外にも、彼女は戸惑ったように自分を見ていた。再び目が合うと、いそいで視線をそらし、次の客の計算を始めた。
 なるほど、多少は脈があるか。いいさ、それなら……。
 クリフは車の後部シートに買い物を放り込むと、勢いよくドアを閉めた。雪がひどくなり始めていた。



 サマンサは、さっきの男の言葉に少なからず好奇心をそそられている自分にあきれ、内心強く自分を叱責していた。あんなのにいちいち反応していたら、これからやっていけないわ。せっかく新しいスタートを切ったばかりなのに。しっかりするのよ。あの人があの夏の青空みたいな瞳で、今まで何人の女性を泣かせてきたか、充分想像がつくじゃないの……。
 ようやく一日が終った時には、とても疲れて腕も脚も痛かった。この仕事に慣れるのに、少し手間取っている。ジャケットを着て出ようとしたサマンサは、一面真っ白に雪化粧した外の状態を見るなり唇を噛んだ。暖かい店内にいたせいか、寒気が余計に無防備な顔を刺すようで、我慢できないほどだ。
 さらに彼女の小型車のタイヤは今日、雪道を走るのに適した装備になってはいなかった。今朝寝過ごして、急いでいたため、そのまま出てきてしまったのだ。覚悟を決めて注意深く運転するか、さもなくばタクシーで帰るしかなさそうだ。
 大きなため息をついて、車の方に行こうとしたとき、再び背後でドアが開いて、背の高い男が足早に彼女の方に近づいて来た。さっきの人……。そう気づくと、彼女はさっと気を引き締めた。だが彼は、暖かな日溜まりのような笑顔で、屈託なく話し掛けてきた。
「やあ、今終ったんだね。随分長いこと待ってたんだよ」
「何かご用でしょうか」
 陽気な陽射しも凍らせるほど寒々しい視線で見返しながら、サマンサはとびきり冷たい声で遮った。
「別にレジにミスはなかったと思いますけど」
「とにかく中に戻らないか。ここでは寒すぎて話もできない」
 そう言うが早いか、彼女の片方の腕を取り、暖かい店内へさっさと引っ張って行った。笑顔とは裏腹のその強引さに引きずられるように、一緒に店内に入ると、少しの間あっけに取られていたが、やがて我に帰って噛み付くように言った。
「あなた、いったいどこの誰なの? どういうつもりで……」
「まあまあ、そうつっかからないで。突然に失礼したね。僕はクリフォード・オースティン。郊外で牧場をやっているんだ。生まれも育ちもこのカンザスで……」
「ご丁寧な自己紹介、恐れ入りますけど、そんな必要はまったくありませんわ。わたしには何も関係ないもの。大体、わたしがこの時間に終わるってどうしてわかったの?」
「実はこの店のマネージャーとは昔からの知り合いでね。それとなく聞いてみたんだ」
 彼女は再び咎めるようなブルーグレイの目を彼に向けた。
「それはそれは。わざわざどうも。それで、何のご用でしょうか」
「立ち話もなんだし、そこのコーヒーバーで、コーヒーでもどう?」
 彼はすぐ脇にあるコーヒーとドーナッツの店に目を向けた。大袈裟にため息をつくと、彼女は首を振った。
「悪いけど、そういうお相手なら他の女性を当たってちょうだい。あなたなら、ちょっと声をかければ喜んでついてくる人も、いっぱいいるわよ」
「でも、君はだめなのかい?」
「ええ。悪いけど、急いでますので」
 そう言って、さっさと行き過ぎようとしたが、また腕を掴まれてしまった。
「それじゃ、僕が家まで送ってあげますよ。さっき困っていたんじゃないのかな? 確かに雪道は、かなり危険を伴うから」
「あなたね、あまりしつこいといやがらせを受けたって警察に訴えるわよ」
「まさか。そんなつもりは毛頭ないよ。ただ君と知り合いたいだけさ」
 彼は、そう言いながら微笑した。青い目が少し困ったように陰っている。まあ、確かに悪い人には見えないけど……。そう思いかけて、いそいで自分を戒めた。まだ懲りないの? 人を見かけで判断するのはとても危険なことよ。
「だから、遠慮しないで。僕なら時間はたっぷりあるから」
「遠慮じゃなくって……。ちょっとあなた、いきなり出てきて何よ! 結構です。何とかがんばって帰るから。その手を離してちょうだい。大声を出すわよ」
 手はたやすく離れた。男は何やら考え込むように、数秒間彼女の顔をじっと見つめていた。次に口を開いた時、彼の口調は随分変わっていた。
「……そう、確かにちょっといきなりだったかもしれませんね。これは申し訳ないことをしました。じゃあ、こうしましょう。あなたを二時間待っていた僕に免じて、ちょっとそこの店で、コーヒーだけでも付き合ってくれませんか?」
 急に下手に出た相手を、彼女は呆れたように眺めていた。開いた口がふさがらないとはこのことだ。自分がこれほどはっきり断っているのが、わからないのだろうか? この自信たっぷりな物腰は、これまで女にNOと言われたことなどない証拠だろう。
 ちょっと意地悪い気持が湧いてきた。いいわ。まだ五時だし少しなら時間もある。何よりあまりにも寒かったから、熱いコーヒーは魅力的だった。そう、断じて目の前の男性に魅力を感じているわけではないのだ。それなら付き合うふりして、その自信を少しへこませてあげる。
 おかしそうな笑みが彼女の口元に浮かんだ。その微笑を見て彼は同意と受け取ったようだ。
「じゃ、行きましょう」
 男はほっとしたように、彼女の肘に軽く手をそえ、コーヒーバーに歩き出した。



「なるほど、君は最近ここに来たばかりなのか」
「春になってからにすればよかったと、ちょっと後悔しているわ。こんなに寒いのは生まれて初めてだもの」
「それなのに、どうしてカンザスに来たの?」
「何となく……。誰も知らない場所で暮らしてみたかったって言うのかしら」
「なるほど。ところで君の名を教えてくれないかな。何と呼んだらいいのか」
 率直に聞かれたので、少しためらったが正直に答えた。
「サマンサ。サマンサ・バークスよ。今まで友人達には、サマって呼ばれていたけど」
「じゃあ僕もそう呼んでもいいかな。君もクリフと呼んでくれたらいいですよ」
「まあ、いつかね」
 最初の思惑とは裏腹に、久しぶりにくつろぎながら、サマンサは次第に会話に引き込まれはじめていた。クリフォード・オースティンは七歳年上らしかったが、飾らない気さくな話し相手だった。カンザスに来て間もない彼女に、いろいろな名物や店を教えてくれ、様々な行事や祭りのことを話してくれた。まださほど親しい友人を持たない彼女にとって、それは有意義な情報だった。そして彼は、余計な詮索などは一切しなかった。
 そういうわけで、いつのまにか話に引き込まれ、笑い声さえあげている自分に気付くと、ちょっと複雑な気分になってしまう。でも、そろそろ潮時。引き上げなくては。腕時計に目をやってから申し分けなさそうな笑みを浮かべて彼を見た。青い目にじっと見つめられているのに気づきどきりとしたが、さりげなくもう時間ですのでと断り、バッグに手を伸ばした。
「ありがとうございました。本当に楽しかったわ、ミスター・オースティン。でももう行かなければ。きっと道が混んでいるでしょうから」
「もう? まだ六時ちょっと前なのに。今から何か予定でも?」
「ええ、黒髪のハンサムな騎士がわたしを待っていますので」
 茶目っ気たっぷりに答えたつもりだったが、意外にも彼の表情はさっと曇った。
「……デートかい?」
 目を細めて問う彼の語調がわずかに変わる。ただそれだけのことだったが、彼が怒っているのを感じ、彼女は少し後ろめたくなった。
「それは、あなたの御想像にお任せしますわ」
 彼女は、さらりと言い置いて、立ち上がった。彼も無言で立ち上がって勘定を払い、サマンサに続いて外へ出た。
 雪はさっきよりもさらにひどくなっていた。通りを車がのろのろ進んでいくのがわかる。ため息をつくサマンサの傍らに立って、雪片の舞い下りてくる空を見上げ、彼は言った。
「これじゃ、今日の約束はあきらめるしかないんじゃないかな。僕が君を家まで送っていきましょう。道も詳しいから、タクシーよりも早く帰れる。こんな夜はデート向きじゃないと思うな」
 確かにこの人に送ってもらったほうが賢明だと心の中で声がした。雪道の運転には全く自信がないし、彼は信頼できると思う。だが少しだけ彼のことを知ってみると、さっきと違う意味で、何となく気乗りがしなかった。これ以上自分のことを知られたくない。そんな奇妙な気持さえ湧いてくる。しばらく無言でためらっていると、ふわりと肩に手がかかった。
「これ以上こんな所に立っていたら、凍え切ってしまうよ。僕の車に乗って」
 そして彼女を守るように、歩き始める。二時間以上待ったと言う彼のメタリックシルバーの車にも雪が既に一インチほど積もっていた。開けてくれたドアから乗り心地のいい車のシートに滑り込むと、心ならずもホッとした。外の寒さは我慢できないほどで、あと五分と立っていられそうになかったからだ。彼女はためらいがちにクリフを見た。彼は優しく微笑み返すと、シートベルトを締めてキーを差し込んだ。
「で、どっちへ行けばいいのかな?」
 エンジンをかけながら、彼は問い掛けた。
「オークアベニューから41番ストリートに、お願いできます?」
 肯くと同時に、車は走り出した。しばらく二人は無言だった。車の少ない通りを選んで走ってくれたお陰で、さして渋滞にも合わずに、目指す通りに入ることができた。
「さて、お次は?」
「あそこのディ・ケア・センター(保育所)に」
「ディ・ケア・センター?」
 クリフは驚いておうむがえしに声をあげた。確かにずっと向こうにそれらしきものが見えるが……。
「保育所になんか、いったい何の用があるんだい?」
 懸命に、落ち着こうと努力しながら、彼はゆっくりと問い掛けた。
「わたしの息子が待っていますので」



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04/2/13 更新