The Days After Yesterday 3
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PAGE 3


 ランチハウスから少し離れた場所に、厩舎がずらりと並んでいる。ハウスと同様、実用的で重厚なつくりだ。
 クリフは鹿毛の愛馬ソードを引いてくると、先に鞍にまたがりサマンサの手を取って後ろに引き上げてくれた。彼女の乗馬経験は、学生時代にキャンプ地の牧場で子馬に乗ったことがあるくらいだ。ほとんど無に等しい。
「いいかい? 走るよ」
 そう言われて思わずクリフのウエストにしっかりと腕を回した。彼がかかとで馬の腹を軽く蹴ると、馬は小さくいなないて走り始めた。
「どうだい、感想は? 馬に乗ったことはないって言ってたね」
 手綱を片手に巻きつけて牧場の敷地を早駆けさせながら、クリフが尋ねる。
「ええ、ほとんどないも同然よ。だからハネムーンから帰ってきたら、ぜひとも乗り方を教えてもらわなくちゃ。こんなに気持のいいものだなんて、全然知らなかったわ」
「まだまだ、こんなのは序の口さ」
 そして、ちらりと振り返ってこう付け加えた。
「大丈夫、時間はたっぷりあるんだ。これから君はずっとここにいるんだからね。別にあせることはないよ、そうだろう?」
 サマンサは思わず頬が赤らむような気がした。ここ数日のやや複雑な思いまで、見抜かれていたのだろうか?
 何も言えなくなって、ただ甘えるようにクリフの背に頬を寄せた。彼はすでに皮のベストを脱いでしまっている。薄いシャツの下に感じる引き締まった筋肉を無意識に指で撫でながら、彼の背中に顔と胸をさらに寄せて、若草のような彼の匂いをいっぱいに吸い込んだ。
 今日は一日中たくさんの人に囲まれ、緊張して過ごした。その後だけに、二人きりの乗馬はいっそう大きな解放感があった。次第にスピードを上げ勢いよく疾駆していく馬の背に、つい数時間前に夫となった人にぴったりと寄り添いながら、どこまでも続いていそうな放牧地を風を切って走る。
 それだけのことが、こんなにも嬉しいものだとは……。



 ふと、牛舎の前を通りかかった時、三人のカウボーイに追い立てられ、牛の一群れが向こうへゆっくりと移動していくのが見えた。
「今日も仕事している人がいるのね」
 クリフも、彼女の指差す方向をちらりと眺める。
「ああ、交代さ。牛や馬を一日中何も食べさせずほうっとくわけにはいかないだろう? ……にしてもサマ、頼むからもうちょっと」
「どうかしたの?」
「……いや、べつに」
 無邪気に聞き返され、それ以上何も言えなくなる。クリフは内心ひそかに悪態をついた。今はお互いに薄いシャツとドレスしか身に着けていない。さっきから服地越しに背中に感じる刺激はかなり強烈で、否応なしに下腹部が焼けるようにうずいてきていた。今日のために幾日も辛抱したあとで、こっちは今すぐにでも彼女が欲しくてたまらないというのに……。
 彼女ときたら、自分のしていることがまったくわかっていないんだな。まあ、そんなところも、子持ちの女性とは思えないほど無邪気で、とても可愛いのだが。
 いいさ。それなら……。

 彼は目を細めて近付いてくる牧場の柵に目を当てた。もはや迂回している余裕がなくなってきた。腿に力を入れて鞍をはさみ込み、身体をしっかりと固定する。
「ちょっと跳ぶよ。しっかりつかまっていてくれ」
 彼の言葉にはっとしたようにサマンサが前方に注意を向けた途端、目の前に迫る白い柵に気付いた。ぶつかる! 悲鳴を飲み込んで、咄嗟に彼にしがみついた。思わず目をぎゅっとつぶった途端、クリフが馬に一声かけ、勢いをつけながら上体をかがめたのを感じた。
 馬もろとも身体がふわりと浮き上がる。次の瞬間馬と乗り手達は、かなりの高さにもかかわらず、その柵をやすやすと飛び越えていた。
 着地の衝撃から立ち直っても、彼女はしばらくの間、目を閉じたままでいた。
「酷いわ! ああ、驚いたじゃないの」
 ほっとしたように大きく息を吐き出すと、背後を振り返って強く文句を言う。
「寿命が縮んだじゃない。こんな無茶をするなら、あなたの後ろに乗るのも、考えたほうがいいかもしれないわね!」
「おやおや、僕と馬の腕前を随分見くびってるんだな」
 クリフは笑って、さらに馬を促した。


◇◆◇


 そして、二人は広い大草原へと出て行った。

 地面を蹴る規則正しいひずめの音以外には、時折ざわめきながら大地を渡っていく夕風のメロディが聞こえるだけだった。傾き始めた大きな太陽が、はるかなる地平線の上空で、鮮やかなオレンジ色の光を放っている。
 すべてがあまりにも雄大だった。東西に一本、白い道路が走るほかは、ひたすら果てしない大草原と遠くにいくつか見える牧場地、そして時折ある潅木の茂みが、どこまでも広がっている。ところどころに緑の葉をつけた低い木が、草地に長い影を落としていた。
 ひととき、辺りを吹き抜ける風の音に耳を澄ませる。それはゴールドラッシュで人々がこの地を越えて西部目指して走り去っていったときも、南北戦争のときも、そしてもっともっとはるかな昔、まだインディアン達だけがのんびりと狩をしながら暮らしていた頃も、きっと今と変わらず、こうして聞こえていたに違いない。


 やがてクリフはまばらに生えている一本の低い木の下に馬をとめた。先に鞍から降りると、サマンサに手を貸す。馬から降りてもなおしばらくの間、彼女は魅入られたようにじっと、その景観を眺めていた。
「なかなか、すごいと思わないか?」
 背後から声をかけられ、ようやく我に返る。無言で振り向いた彼女の表情に混じった、深い感動と畏敬の念を読み取ったように、彼は微笑して彼女の頬にそっと動くほうの手をのばした。そのまま、ゆっくりと指先が彼女の顔の輪郭を確かめるように動いていく。彼女は思わず小さく身震いし、数歩後ろに下がった。
「寒いのかい? 震えてるね。こっちへおいで、ダーリン」
 彼女はゆっくりと首を振って、つい先刻夫となった人の顔を見返した。その瞳に情熱の火が宿っていることに気付くと、わずかにひるむ。だが、彼はただじっと、待っているように見えた。
 突然、自分でも訳のわからない衝動に駆られ、サマンサは小さな声を上げると、彼の胸にぶつかるように飛び込んでいった。その勢いが強すぎたようにクリフがバランスを崩し、二人はやわらかな草地にそのままもつれるように倒れこんでしまった。
「ご、ごめんなさい。あなたの腕が……」
 彼に覆いかぶさるような姿勢で倒れたサマンサは、慌てて身体を起こそうと顔を上げた。途端に射抜くようなブルーの瞳に魅入られたように動けなくなる。
 次の瞬間、彼の手に後から頭を抑え込まれ、唇を荒々しく奪われていた。彼の舌が性急に入り込んできて、喉元まで出かかったくぐもった叫びすら、声にならずに消えてしまう。思いのままに彼女の口中を探りつくしながら、彼は身体を返して、柔らかな草の褥に彼女を横たえ、あべこべにのしかかるような姿勢になった。そして、自らジーンズのファスナーを開くと、彼女の手をつかんで既に猛り立っていた彼自身へと導いていく。
 はっとして、思わず彼の目をもう一度見つめてしまった。微笑む口元とは裏腹に怖いくらい真剣なブルーの瞳がじっと見下ろしている。彼の手がドレスの下にかかり、下着が一気に引き下ろされた途端、再び唇が重なってきた。エロティックなまでの彼の舌と指先の動きに、急激に沸き立った欲望の波に引きずり込まれ、すすり泣きながら、もはや彼が欲しいという荒々しいまでの渇望以外、何も考えられなくなっていった。
「いいかい? いくよ」
 口元で確かめるように囁かれ、ただ夢中でうなずき返した。汗のにじんだ彼の首筋に手を回し、夫の全存在を手の内に捕まえたいというように力いっぱい引き寄せる。
 大地の上で、服さえも身につけたまま、性急で焼きつくすような情熱の渦の中にそのまま二人して身を投じていった。体の奥深くに熱く彼を感じながら、目を閉じてその究極の結びつきが与えてくれる奔放で原始的な悦びに浸る。お互いの身体が刻む太古からのリズムだけに身を任せ、何もかも忘れてとことんまで酔いしれた。背中を抱き寄せてくれる彼の手にぐっと力がこもったとき、二人の口からほとんど同時に恍惚の叫びが上がった。

 そして、あたりは完全に静寂に包まれていった。


◇◆◇


 気がついたとき、大きな夕日が地平線をなおいっそう赤く染めていた。
 身繕いを済ませたあとも、しばらく二人は寄り添ったまま満ち足りた沈黙の中に座っていた。それは嵐の後の凪のような、完璧に穏やかな時間だった。
「そろそろ帰ろうか……」
 サマンサのかすかな震えを感じ、肩に腕を回してそう言いかけたクリフの言葉を、一本の指でそっと遮った。
「あと少しだけ」
 もう一度たくましい胸に頭を寄せる。
「本当に、この広い空の下に二人きりっていう気がしてきたわ。さっきの大騒ぎが、まるで嘘みたい」
 リングのはまった左手を夕日にかざして、思わず呟く。彼がその手を取って引き寄せ、優しく唇に押し当てた。
「とんでもない。あとでまた、じっくりと思い出させてあげるよ」
「あなたは幼い頃から、こんな風景を見ながら育ったのね。わたしとは大違いだわ」
「うん。バージニアあたりとは、大分違うのは確かだろうな。僕は東部にはあまり行ったことがないから、よく知らないが」
 それから、彼女の頬に労わるようにそっと触れた。しばらく自分を見つめていたクリフが、ふいにこう切り出したとき、彼女は驚きに身を硬くした。
「君のご両親は、マシューのことをあまり……よく思ってはいないんだね」
 サマンサは身体を離そうとしたが、彼の腕は優しく彼女を締め付け、さらに引き寄せられてしまった。その控えめな言葉の裏に、彼がこの二日のうちに自分を取り巻く状況をほとんど理解してくれたことが窺われた。急に目頭が熱くなって目を閉じる。
「あの寒い冬に君がたった一人で、こんなところに来た理由が、昨日やっとわかったような気がしてね。ある意味、君のご両親に感謝すべきかもしれない。君がここに来てくれなければ、僕らは出会うことすらなかったんだから」
「……ええ、本当に、そうよね」
 もう、泣く必要はないのだ。うなずきながらブルーグレイの瞳をしばたかせ、どうにか涙を振り払うと、夫の胸に全身を預けた。本当に、自分の幸運が信じられないと思うほどだ。



「僕らの子供はまだかい?」
 しばらくして、立ち上がりながら彼の手がサマンサの腹部を撫でて、さらりとこう問いかけたので、また彼の顔を見上げてしまった。
「え、ええ、まだ……みたいだけれど……」
 クリフの赤ちゃん。こうもはっきり尋ねられると、どぎまぎしてしまう。確かに、早くそうなったらどんなに素敵だろう。だがあいにくと、まだその兆しは見えなかった。
「残念だな。もしできたら、すぐ教えてくれるね」
「でも、まさか……、それで、わたしと結婚しようと思ったとか?」
 思い当たって、思わず声が鋭くなった。
「もちろん違うさ。だけど、僕は初めて君を抱いたときから、予防なんか一切していない。まあ、君の方はわからなかったけどね。だからもしかしたら、とは思ってた。いや、できればいい、と心のどこかで思っていたかもしれないな。実際は、あのまぬけな弁護士のおかげで、もっと速やかに有効な手を打てたわけだけど」
「あ、あの時から……、そんなふうに思ってくれて……いたの?」
「あの時から、だって?」
 クリフも驚いたようにまじまじと彼女を見つめ、ついで参ったというように片手で目を覆って笑い出してしまった。何がおかしいのか、さっぱりわからない。少し腹が立ってきて不満の声を上げると、彼は笑いながら彼女の頬にキスした。
「君は、ほんとにまだわかっていなかったのかい? それじゃ僕が何のために、君にここに来るよう薦めたと思ってたんだ? あれは、君に近付く絶好の機会だったからさ。もしマロリーのことがなければ、僕は今でも君のフラットに通いながら、ぐずぐずと君に近付くタイミングを計って、欲求不満に押し潰されそうになっていたかもしれないな」
「………」 
 返す言葉が見つからず、口を開いてからまた閉じてしまった。馬を引いて戻ってきた彼の顔にはまだ、さっきの笑みが浮かんでいる。
「さあ、ミセス・オースティン、牧場に戻ってハネムーンに出発だ。きっと母がやきもきしてるだろう。ぐずぐずしてるとここに置いて行くよ」


 赤い夕日が地平線の彼方に沈む頃、草原に長い影を落としながら、二人は皆の待つ牧場に向かって馬を走らせていった。



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patipati

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 05/02/01 完結

  お読みいただき、ありがとうございました。
  あとがきはBLOGにて……。