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 その態度にかちんときて、ケリーも思わず辛辣に言い返してしまう。

「あなたはいつだって、わたしを子供扱いしていたわ。仕事だと言いながら、どこで何をしているか、きちんと説明してくれたことさえなかった。それにこの三年間、連絡一つくれなかったのは、あなただって同じでしょう?」

「じゃあ聞くが……、君はこの三年、僕がどんな思いで暮らしてきたか、少しでも考えてくれたことがあるのか? ある日突然出ていったきり、何の音沙汰もない。僕があれから毎日毎晩、君からの連絡を待ちながらどんな思いで過ごしてきたと思う? 絵筆を持とうとしても、カンバスに向えば、君の面影が浮かんでくるんだ! あんなにあっさり捨てられて、それでもまだ君を思い切れない自分に、どんなに嫌気が差したか……、君に何がわかる?」
 彼はさらに嘲るように付け加えた。
「そして、ほとんどあきらめた頃にあの手紙だ。やっと思い出してくれたと思ったら、離婚の書類ときた……」

 やり場のない怒り、欲求不満、そして……あとは何だろう? 渇望と絶望を織り交ぜたような何かが見え隠れしている。
 こんな彼を見るのは初めてだった。いつも大人で、自分のことなどでは、びくともしない人だと思っていたのに……。
 ケリーはただ呆然と夫を見返すばかりだった。

「君は僕のことなど全く愛していなかった。僕と結婚したのは、ただの浮わついた一時の気分に過ぎなかったんだ。そんな君を追いかけて、もう一度戻ってくれと、いったいどうしたら頼めたと思うんだ?」
「いいえ、違うわ。絶対にそんなものじゃなかった。だってわたし……、今もあなたを愛しているもの!」

 彼の絞り出すような声を聞くなり、ついにケリーはそう口に出すと、両手を伸ばし彼の胸に身を投げかけていった。
 もう恥知らずでも構わなかった。今はプライドさえ、どうでもよくなっていた。

 これがまぎれもない彼の真実……。
 誇り高く強情な夫が、今はじめて自分の前に曝け出した、たぎるような熱が、夜の静けさを破って辺りに渦巻いていた。
 そんな彼の言葉と思いにすがりつくように、ケリーは彼の胸に自分を投げ出していった。

 コールの身体がさっと緊張した。内心に渦巻く葛藤をそのまま示すように、全身きつく巻いたばねのように強張っている。彼の手が肩にとりすがった彼女の指を引きはがそうと、苛立だしげにその手をつかんだ。
 だが、コールの必死の抵抗もそこまでだった。
 次の瞬間、彼は狂おしい眼差しで彼女を見つめた。彼の両腕が彼女の背中にしっかりと回され、力いっぱい抱き締められた。今日の昼間、丘の上で彼女の唇を貪ったあの激しさそのままの抱擁に、ケリーも夢中になって彼にしがみつく。
 たちまち情熱が二人を包んで高まり、どちらからともなく激しく唇を求め合った。荒々しい口づけを交わしながら、自然に手が動いて、相手の肌をもっと親密に感じ取ろうとお互いの衣服の下に滑り込んでいく。
 隔てる衣服がもどかしい。そう思った時、ケリーは彼の腕にすくい取るように抱き上げられていた。

 いつダイニングを出たのか、わからなかった。彼のたくましい胸に顔を押し当て、どくどくと早鐘のように打っている心臓の音を聞きながら、ケリーはこの夢が覚めてしまうのが怖い、というように目を固く閉じていた。
 ひんやりしたシーツの上に下ろされ、はっとして目を開くと、彼の寝室のベッドの上にいた。窓から指し込む月の光を背に、夫がじっと見下ろしている。
 魅入られたように、その目を見つめ返すと、彼は苦しげに息をつき、しわがれた声で言った。

「このままじゃ、また僕らは引き返せなくなってしまう。嫌なら今すぐ僕の前から消えてしまってくれ。僕がまだ、どうにか持ちこたえている間に……。君は明日、ロンドンに帰るつもりで……」

 まだ何か言おうとするコールの口を、ケリーはさっと指でふさいでしまった。答える代りに、あでやかな微笑を浮かべて見せる。まるで誘惑するイブのような微笑……。
 彼がはっと息を呑んだのがわかった。そのまま彼の手が、飢えたように彼女をまさぐり始め、ケリーの喉からもささやくような声がもれる。
 ついに、うめき声とともに荒々しく唇が重なった。手の動きにも唇の動きにも、今はもう迷いもためらいも感じられない。さっきより一層切羽詰まった、彼女の感覚全てを目覚めさせ駆り立てていくような愛撫だった。
 すぐさま、衣服が剥ぎ取るように取り去られ、裸体をさらした夫が覆いかぶさってきた。二人は熱く全身をからませると、互いの存在を確かめ合うようにしっかりと抱き合った。互いの肉体から引き出される反応に、夢中になって共に走り出す。
 いつしか、額にも背中にも汗が滲んでいた。熱を帯びたケリーの身体をなだめ、煽りたてるように、コールは敏感になった肌に親密なキスを重ねていった。
 どんなに喘いでも懇願しても、彼は容赦しなかった。彼女が今確かにここにいる。そのことを幾度も確かめるように、片時も離さず、彼女の全てに触れ、探り、そして味わうことを繰り返す。
 まるで少しでも手を離せば、また彼女が消えてしまうのではないかと、怖れているようだった。

 クライマックスの兆しに、ケリーの全身にさざなみのような震えが走り、彼の動きがさらに激しさを増した。ついに身体中がはじけるような快感でいっぱいになる。
 ほとんど同時に彼の喉からも押し殺した声があがり、のしかかった身体が大きく震えた。次の瞬間、彼女の上にぐっと心地よい重みが加わった。
 崩れ落ちてきた彼の身体を、両腕で抱きとめながら、彼女は全身で愛する夫を抱く至福を享受していた……。

「……これで、よかったのかい?」
 そっと確かめるように声をかけられ、ケリーは重くなっていた瞼をかすかに開いた。闇の中で力尽きたようにぐったりと、彼に寄り添い横たわっている。
「もちろんよ……」
 けだるい微笑を浮かべ、やっとこれだけ言うと、そのまま深い眠りに落ちていった。


◇◆◇  ◇◆◇  ◇◆◇


 下ろしたブラインドから差し込む白い光の中で目を覚ました時、ケリーは彼の寝室に一人きりだった。
 夫はどうやらはやばやと起きたらしい。彼女はシーツの中で寝返りを打って、昨夜のことを思い返した。あれは夢ではなかった。その証拠に彼女の身体には、狂おしかった一夜の記憶がいくつも刻み込まれている。
 そのまま余韻に浸っていたかったが、客のことを思い出し慌てて起き上がった。シャワーを浴びるために浴室へ急ぐ。そうだ、朝食の準備をしなければ……。

 昨夜と同じ格好でキッチンに下りていくと、フライパンを手にしたコールが振り返った。その気楽な服装の効果以上に、どこかすっきりした彼の顔には、昨日は見えなかった優しさが浮かんでいる。
 ケリーが近付くと、彼はフライパンの中身をひっくり返しながら声を掛けた。

「おはよう。もっとゆっくりしていてよかったのに」
「朝も手伝うって言ったでしょう?」

 テーブルにはすでに人数分の皿が並び、きれいに切り分けられたパンとフルーツが盛り付けられていた。
 彼女がミルクのカップを取り出してから箱のシリアルを取り分け始めると、彼はレンジの火を止めて傍らにきた。
 彼女の顔をしげしげと眺め、今の心中を押し計ろうとしているようだ。彼女は微笑んで、気安く声をかけた。

「分量はこれくらいでいいの?」
「そう……。ここにジャムを置いて」
「こう?」
「それから、ベーコンをここに……」
「これでいいのかしら?」

 庭木の梢に、今日も明るい朝の陽射しが煌いている。



 客達は二人のB&Bに充分満足した様子で、また旅に出ていった。
 学生のレンタカーが少し遅れて出発するのを並んで見送ってしまうと、ファームハウスの庭には再び静けさが戻った。
 ケリーがほっとしたようにため息をつくと、コールが振り返って、彼女に腕を回して引き寄せた。

「素晴らしい女主人役だったよ。これがはじめてとは思えないくらいだった」
「そう? とにかく一生懸命やっただけよ。ねえ、コール、わたし考えたんだけど……」

 彼女の呼びかけに、彼はびくっとしたように手に力を込めた。
「今さら、昨夜のことは全部なかったことにしたい、なんて言わないでくれよ」
 おどけたような口調とは裏腹に、見つめる眼差しに怖れの色がにじんでいるのを見て取り、ケリーはにっこりと笑いかけた。

「これからわたしが、このB&Bをやればいいって思ってたの。だからあなたはまた絵を描いてちょうだい。そうしたらきっと、何もかも全部うまくいくわ」

 抱き寄せる彼の腕にさらに力がこもった。
 庭先にいつまでも佇む二人の傍らを、春風が優しく吹き抜けていく。

 ファームハウスのダイニングの壁に、再び彼女の絵が飾られた日。
 二人の行く手を祝うように、コッツウォルズの空はどこまでも青く晴れ渡っていた……。


〜 FIN 〜

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patipati
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12/06/16 更新
資料提供 『gomato様』 : 素敵なコッツウォルズ地方の風景写真を、本当にありがとうございました!!
そして、お読みくださった読者様、お付き合いいただき、ありがとうございます!
続きの番外編もありますので、よろしければトップページからご覧くださいね☆