Chapter 15
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「家出? パトリシアが?」
ホイットリー邸の自室でアーノルドは、起き抜けの耳に思いがけない報告をしてきた使用人を胡散臭そうに見上げた。
天蓋つきベッドのカーテン越しに、事務的な説明は続く。
「チャンドラー邸のニコルズ様より少し前に入ったお電話によりますと、パトリシアお嬢様は、三日ほど出かけるが心配はいらない、という内容の書置きをお部屋に残されていたそうです。今、駅に人をやり、汽車の時刻や行き先などを確認しておられるとのことで、アーノルド坊ちゃまにも至急、お越しいただきたいとのことでございます……」
「ふーん、それはまた……。随分思い切ったことをしたもんだな」
しばらく目をしばたかせていたアーノルドは、ごろりと寝返りを打つと、おかしそうにくっくっと笑い出した。やおらカーテンを開き、困惑顔の男を見上げる。
「彼女の行き先なんかわかってる。叔父さんに『どうぞご心配なく、パティにこれ以上勝手な真似はさせませんから』とでも伝えておけ。すぐに伺います、とね」
「か、かしこまりました」
「ふん、間違いなくあの島だ。決まってるさ」
閉まった扉を見ながら苛々と呟くと、彼はガウンを羽織って立ち上がった。
*** ***
「出かけるの? 何だねお前……、またクラインの息子のところかい?」
昼過ぎ、デイジーがキッチンで奮闘の末、ふんわり焼き上がったココットとポットに入れた熱いスープをいそいそとバスケットに詰めていると、母親が入ってきて咎めるようにこう尋ねた。
思わず小さく舌打ちする。丁寧に結い直したばかりの金髪を振り上げ、デイジーは挑戦的に母を見返した。
「ネッタ小母さんとロイの二人に差し入れよ。小母さんが倒れて以来、ロイが食事作りに困ってるんですもの。彼、料理はあまり得意じゃないらしいわ。きっと向こうでは外食ばかりだったのね。……いけない?」
「いいや。だけどねぇ、お前が毎日のようにクラインの家に通ってるのは、もうとっくに村で噂になってるんだよ。何人もの奥さんからお前のせいで娘があきらめた、とか嫌味まで言われる始末だしね。まぁ正直なところ、ネッタの息子なら相手としては大いに結構だが、人の口に戸は立てられないよ。お前……、もう申し込まれてるんだろうね? 一番肝心なのはそこなんだよ」
人差し指を振りながら強調する母親に、デイジーは黙り込んだ。これまで周りからどんなに言われても特定の男に入れ込むことなどなかった自分が、急にかいがいしく示し始めた熱意に、親が興味深々になるのは理解できる。だが、あまり露骨に期待されるのは困りものだ。狭い村は本当にやりにくい。現に、嫁に行き遅れて焦ってるだの、当てこすりを言われて、かなりうんざりしていた。
「……いいえ、まだよ。だけど本当に誰も来なくなったもの。そういう話が出るのも、遠い先ではないかもしれないわね。だから頑張らなくちゃ」
自らを励ますように答える彼女にミラー夫人は頷き、さらに少し暗い顔で呟いた。
「今は若い男達がぞくぞく戦争に行っているからね。これ以上長引いたら、男がしまいに子供と年寄りばかりになるんじゃないかと心配になってくるよ。まったく、農作業にどれだけ響くやら……」
「たとえ誰が行っても、ロイは無理よ。小母さんがああなんだもの。それじゃ行ってきます」
それ以上繰言に付き合わされる前に、デイジーはまだ暖かいバスケットを抱え外に駆け出した。
市場の通りまで来ると、折よく当のロイ本人が、マジソン食料品店から食料の入った大袋を荷馬車に積み込んでいるところに出くわした。
今日はついてるわ。彼に気付いて欲しくて、人目もはばからず大きく手を振ると、華やいだ声をかける。
「こっちに来ていたのね。ちょうどよかったわ、今あなたの……」
「やあ、デイジー、どこかに出かけるのかい?」
さりげなく答えるロイの微笑が、少しこわばっているように見えるのは、気のせいだろうか。ディジーはすばやく話題を変えた。
「あら、新しい荷馬車じゃない? どうしたの?」
「……ミード夫人から期限付きで借りたんだ。うちからここまで何度も往復するには、馬と荷馬車は必需品だからね。今、ドクターに往診に来てもらった帰りさ」
ミード夫人。息子が出征したばかりの未亡人だ。今、ミード家には誰も馬を操る人がいないのだと、デイジーにもすぐ察しが付いた。
「ネッタ小母様のご様子はいかが?」
「相変わらずさ……。おっと、森向こうの家何軒かに、配達を頼まれてるんだ。もう行くよ」
御車台に座りたずなを取り上げた彼に、デイジーは抱えたバスケットを示して追いすがった。
「ロイったら! ちょうどあなたの家に行こうと思っていたのに、ひどい人! 乗せてくれないつもり?」
「デイジー……、前から何度も言ってるけど……」
ため息混じりに言いかける言葉を遮るように、彼女は強引にロイの隣に上がりこんだ。
「ほら、ココットよ、小母様お好きでしょう? 今日はとてもおいしくできたの。もちろんあなたの分もあるわよ」
「……もっと他に、君が持っていけば大喜びする奴がいるだろうに」
「あなたは喜んでくれないの?」
「いや、それはもちろんありがたいけど……」
「なら、いいじゃない!」
困った……、とばかりにまた一つため息をつくと、ロイは馬に鞭をあてた。その横顔を眺め、デイジーは道すがらちょっと拗ねて膨れていた。
*** ***
「クラインの息子とミラー家のデイジー……。あれも近々、いい夫婦になりそうだね」
「こういう時節だから、男が戦地に行っちまう前にと、バタバタくっつくカップルが増えてるのさ。あの二人だってじきにそうなるだろうよ。しかし、ネッタの具合は本当によくないらしいね。寝込んだきりとか」
ロイとデイジーを乗せてメープルの森へとゆっくり走っていく荷馬車を眺めながら、路上で二人の中年の婦人がカップルの品評会よろしく声高に話していた。
荷馬車が出た後を追うように、後方から道をガラガラと音を立てて近付いてきていた乗り合い馬車が、ちょうど話している二人の傍に停まった。それは州都シャーロットタウンからの定期馬車だった。数人の村人にまじって、ここらではちょっと見かけない洒落た服装の若い女が馬車から降りてきた。
娘はその場に立つと、前方に続く赤土の道をひどく不安そうに眺めてから、話を続けながら無遠慮にこちらを見ている二人の婦人に、おそるおそる声をかけた。
「あの……、失礼ですが、今のお話はどういう……?」
帽子の下の顔は何故か青ざめていた。ひどく切羽詰っているようにも見える。大柄な婦人が眉を上げて問い返した。
「ここらではお見かけしないお顔だけど、お嬢さん、どこからおいでなすったの?」
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17/08/08