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 サイモンが悪態をつきながら、先ほど投げ捨てた銃を拾いあげようと手を伸ばした。
 だが彼が反撃の体制を整えるより早く、再び銃声が響いた。サイモンが拳銃を拾い上げるのとほぼ同時に、手綱を引いて馬を停めたレナードが、馬上から引き金を引いたのだ。
 騎兵隊の将校である彼にとって、頭のいかれた貴族の子弟など、所詮敵ではなかった。
「うわっ」という声と共に、サイモンの手から拳銃が弾き飛ばされて地面に落ちる。

 サイモンの身体がよろけ、どっとしりもちをついた。手に銃弾がかすったらしく、噴き出した血を見て、パニックになったように叫び声を上げ始める。

 その隙に近くまで来たレナードが馬から飛び降りた。アリシアは震える声で彼の名を何度も呼びながら、夢中で駆け寄っていった。
 気が付いた時、彼女は強い腕に力いっぱい抱きすくめられていた。耳元で、自分の名を呻くように呼ぶレナードの声が聞こえる。

 もう大丈夫……。
 この人がわたしを守ってくれる……。これから先も、ずっと……。

 彼の腕に抱かれ、大きく息をついた。その瞬間、眩暈がするほどの安堵と喜びがどっと押し寄せてきた。
「アリシア、ああ、僕のアリシア、無事なんだね?」

 顔を覗き込んで問いかける彼の声はかすれていた。触れ合ったたくましい体がひどく緊張している。
 涙にぬれた目で彼の顔を見つめ返した。頬にそっと手を這わせ、柔らかく微笑みかけると、レナードがたまらないというように、唇に唇を押し当てる……。


 周りで誰かが咳払いした。
 はっとしたように抱擁を解いたレナードは、腕の中のアリシアの全身を改めて確認し、顔を強張らせた。何も説明しなくとも、その赤くなった頬と乱れた髪、引き裂かれたブラウスが、事態を克明に物語っていた。
 彼は目の前が赤く染まるのを感じた。傍らで数人に取り囲まれ、手から血を流し半泣きになっている男をぐっと睨み据えると、詰問した。

「お前の名は?」
「血が……、血が……こんなに出てるじゃないか。早く手当てを……」
 サイモンはそれには答えず、ひざまずいたまま途切れ途切れに息をあえがせた。その哀れな姿にアリシアはたまりかねて口を挟んだ。
「レナード、もういいの! わかったわ、今までのことも何もかも……」
「アリシア、しかし……こいつは君を……。銃声が聞こえたから、てっきり君が撃たれたのかと……。あんなに恐ろしかった瞬間は無い!」
 彼の吐く息使いも言葉もひどく荒々しかった。サイモンを見る目に殺意が浮かんだ気がして、ひやりとする。レナードはアリシアをもう一度引き寄せ、ぶるっと身震いした。
 こいつの心臓に銃弾を一発打ち込んでやりたい。まともな相手なら、間違いなくこの顔に手袋を投げつけているだろうに……。

「では、この男なのか、一連の事件の犯人は……? いったい何者なんだ?」
「サイモン・アトキンス、わたしのまたいとこよ……」
 アリシアの声もまだ少し震えていた。
「……なるほど」
 レナードの表情が職務的になった。納得した、というように頷く。
「その名前は聞いていた。破産しかけている、という報告も受けていたよ」
「ええ、この人がすべての事件を引き起こしていたの……。お父様の財産を狙って」
 すべてわかったというように、彼はまた大きく頷いた。連れの男達に、彼の身柄を丁重に拘束するよう指示を出す。
「レナード、あまりひどいことはしないでちょうだい。わたしは大丈夫だったから……」
 よろよろと立ち上がりかけたサイモンが、再びがっくり膝を突くと、おいおいと声を上げて泣き出した。一同、唖然とする。


 死にかけていた雌馬を楽にしてやると、レナードはアリシアを抱え上げ、自分の馬で一緒に館に戻った。すぐさまロンドンのスタンレー邸に知らせを送る。サイモンの処遇は侯爵の判断に任せようと思ったからだ。



◇◆◇  ◇◆◇


 その夜、館の書斎でサイモンについてアリシアから詳しい説明を聞いたレナードは、寒心に堪えない、と言うように幾度も頭を振った。

「スタンレー家の財産狙いかもしれない、と予測はついたから、君と侯爵の周囲の人物を全員調べていたんだ。あの男は三年前からヨーロッパで放蕩し、挙句全財産を使い果たしているね。その上、君に未練がたっぷりあったというわけか。しかし、何と馬鹿な事を……」
「かわいそうな人だと思うわ……」
 真顔で答えるアリシアに、彼は仕方がないな、と言うようにため息をついて微笑むと、ふいに彼女の手を取り、椅子から立ち上がらせた。

「さあ、もうこの話は終わりだ。後始末はお父上にお任せすることにしよう。ところで、レディ・アリシア?」
 レナードの口調が急に改まったのでどきりとしたが、何食わぬ顔で問い返す。
「はい、何かしら?」
「これで事件は片付いたようだが、僕らの問題がまだしっかりと残っている」
「わたし達の問題?」
「そうさ。忘れた振りをしても駄目だよ。僕は君に正式にプロポーズした。なのに君はまだ返事を聞かせてくれないね。いい加減で待ちくたびれて、次の行動に出ようかと思っているんだが……」
 アリシアは、思い出したように目を丸くした。その表情が次第に明るく輝き始める。だがすぐには答えず、いたずらっぽく微笑みかけた。
「次はどうするの? 効果があるかどうか、試して見たら?」
「もちろん、説得と実力行使さ」
 レナードが彼女の瞳をじっと覗き込んだ。

「実は、三年前に君と出会って以来、忘れられなくなった男が、ここにもう一人居るんだ」
「え……? それはどういうこと?」
「三年前のある夜、パーティで君が誰かの……そう、今にしてみればそれがサイモン・アトキンスだったわけだが……求婚を退けているのに偶然出くわした。一目見て、君の姿が心に焼き付いてしまったんだ。僕はそのときインドに赴任する直前だったから、後を追ったりはしなかった。だけど、向こうにいる間も、時々君を思い出しては、少しばかり後悔していたんだ」
 情熱を湛えた真摯な目が彼女をまっすぐに捉える。気がつくと、アリシアは息を潜めて彼の言葉に聞き入っていた。
「それが今回、ロンドンに戻った矢先、何かトラブルに巻き込まれている君と偶然関わることになった。正直に言えば、何度、神に感謝したか知れなかったよ」
「……そうだったの」

 何と言っていいかわからないまま見つめ返す。だがそのとき、昼間のクレアのことを思い出し、とっさにこう聞き返した。
「クレアさんのことはどうなの? そういえば、あの後どうしたの?」
「クレアかい?」
 参ったな、というように彼は苦笑した。
「彼女は近くの領地に住むハドリー男爵の娘でね。もちろん子供の頃からずっと行き来はしていたが、特別な期待を抱かせるような態度など、これっぽっちも見せたつもりはないんだが……。さっき、よく話したらわかってくれたよ。泣かせてしまったのは認めるけどね。彼女のことは僕も妹のように思っている。だが、君を見るように彼女を……、いや他の誰も見たことは一度もないよ」
「わたしを? どんな風に見ているの?」
「見ているだけで、身体が熱くなり、芯までしびれてくる。いつも抱き締めたくてたまらなくなってしまうんだ。今までどんなに我慢して、僕が君の前で行儀良く振舞ってきたか、知らなかっただろう?」
「それは……、全然知らなかったわ」
 アリシアの心に歓喜がこみ上げてきた。その輝くばかりの微笑みを、レナードは息を止めて見つめていた。やがて彼女をさらに引き寄せると、決定的な言葉を口にした。

「アリシア、愛している。ここ数週間共に過ごす間に、最初の頃よりもっと強く君を愛するようになった……。美しくて勝気で強情で、そしていつも生き生きと輝いている君……。もう君なしに生きることなどできそうにないよ。どうか、僕と結婚してほしい」

「そうね……。頑固で野暮で、気が利かない人だと思うけど……、わたしもあなたとなら、結婚したいと思うわ」

 一呼吸置いてゆっくりと答えたとき、彼が息を呑んだのがわかった。しばらくまじまじと見下ろしていた青い瞳に、強い歓喜がはじける。
 熱い唇が降りてきた。そのまま二人はいつ果てるともない口づけに我を忘れていった。
 貪欲な彼の唇にはもう遠慮も配慮も感じられなかった。ますます激しくなるキスに、アリシアも喜んで応える。心が愛と喜びで、薔薇色に染まっていく。

 こんなふうに、愛し愛されたいと長いこと夢見てきた。今、その願いがかなったのだ。
 彼との結婚を断る理由は、もうどこにも見つからなかった……。

 ふと、アリシアの脳裏に父、スタンレー侯爵のご満悦の表情が浮かんだ。
 結局、これは、自分を結婚させたかった父の作戦勝ちなのかもしれない……。



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10/10/19  再掲