NEXTBACKTOPHOME



Page  7


「どうやら、君は自分の置かれた状況がまだわかっていないようだな。君はあの夜の出来事から、何の教訓も得なかったのか?」
「どういうことかしら……?」
 急に変わった彼の口調に戸惑いながら、答える。
「例の一件は、今も内密に捜査中だ。まだ犯人が捕まったわけじゃない。お父上がなぜ僕に君の護衛を頼まれたのか、今ここでもう一度思い出すことだね。もし、僕が偶然通りかからなければ、君は今頃まだ……、もっと悪ければ命が危なかったかもしれないんだぞ!」
 目を見張ったアリシアに、レナードは再び落ち着いた口調に戻った。
「自分を粗末にしたいなら、好きにすればいい。だが、君にもしものことがあれば、お父上がどんなに嘆かれるか、考えてみることだ」

 痛いところを突かれ、さしもの彼女も押し黙った。悪夢を見たと思って忘れようとしているが、確かにあの恐怖をもう一度味わいたいとは思わない。

「で、では、お尋ねしますけれど、あなたこそ、この上わたしに関わって、どんな利点があるというの?」
 お互い、愛してもいないのに……。

 しばし無言だったレナードが、ふっと微笑み返した。次の言葉にまた驚かされる。
「実は僕も、田舎の母から結婚を迫られていてね。伯爵家の当主として当然の務めだそうだ。だが、スタンレー侯爵令嬢と婚約していれば、誰からも文句は言われないだろう?」
「……それじゃわたし達、案外似たもの同志、ということ?」
「そう言って、君に差支えなければ」
「本当に変わった方ね、あなたって……」

 ふーっと大きく息をついて、アリシアはふふっと微笑んだ。今まで、美辞麗句をちりばめた求愛文句ばかり聞いてきた彼女にとって、一つも飾らず率直に話す彼の態度はとても新鮮だった。こんな人には初めて会う……。
 いつの間にか引き込まれている自分に気付いたが、もう気にならなかった。

 彼女の変化に気付いたように、日焼けした男らしい顔に笑みが広がった。
「ここは一つ互いのために、これまで通り交際を続けないか? 僕らがこうして関わることになったのも、何か縁(えにし)がある気がするんだ」
「……そうかもしれないわね」

 アリシアもようやく頷き返した。承諾とも単なる相づちとも取れる、これまで数多くの崇拝者達を期待と失望の間でやきもきさせてきた、彼女独特の表情が浮かんでいる。
 期待に胸が高鳴るのを懸命に抑え、ポーカーフェースを装い続けながら、レナードはじりじりと続きを待った。

「では、その『ご縁』に免じて、昨夜のことは許して差し上げるわ。でも……、だからと言ってあなたと一足飛びに『結婚します』なんて言えないもの。今までどおり『交際している振り』でお願いしたいと思うわ」
「………」
 レナードは無言だった。ほっとすると同時に、失意もこみ上げてくる。もちろんそんなに甘い筈がない。今はこれで、十分満足すべきではないか。
 ようやく和らいだ彼女の表情を見つめ、彼はその手をとると、愛しさをこめて唇を押し当てた。
「また、お伺いしましょう」
 やがて、そう言って微笑んだレナードに、アリシアは胸がときめくのを感じていた。


◇◆◇  ◇◆◇


 それからしばらくは、穏やかに過ぎていった。アリシアは極力外出を控え、レナードがスタンレー邸を定期的に訪問し、お茶を飲みながら話していく。
 だが、そろそろとアリシアの退屈の虫がうずき出す。
 ある日、訪問したレナードから観劇に誘われた。

「明日はオペラ観劇でもどうだい? 今とても評判らしい。君の気晴らしになればと思うんだが……」
「オペラ……? あなたもお好きなの?」
 彼のイメージにそぐわず、つい問い返してしまった。案の定、彼はおどけた様に両手を広げると、『お手上げ』というポーズをして見せた。
「いや、正直言ってさっぱりだ。眠ってしまわないよう、見張っていて欲しいな」
「正直ね。でも行きたいわ」
 くすくす笑いながら承諾する。翌日、二人はそろってオペラハウスに出向いた。久しぶりの外出で、気分も自然に浮き立ってくる。


 今シーズンの人気作とあって、劇場はほとんど満席に近かった。
 桟敷席にレナードと並んで座る。幕が開いても、アリシアの意識は彼の方にばかり向いていた。
 黙っていれば紳士然として、見栄えのいい彼を横目で眺めていると、何だか甘酸っぱい気持になってくる。

 いやね、どうしたのかしら? 
 慌てて舞台に集中しようとするが、気がつけばまた彼を見ている。

 あなたは毎日、どうやって過ごしているの? まだ軍の仕事もしているの?
 他に誘いたい女性はいないの?
 わたしの相手なんか、そろそろ嫌になっていない?

 聞きたいことはいくつもあるのに、口から素直に出ようとしない。

 そんな彼女に気付いたように、レナードが苦笑しながら話しかけてきた。
「何か言いたいことでも? また知らずに無作法でもしてしまったかな?」
 アリシアは慌てて「なんでもないわ」と答え、舞台を楽しんでいる振りをした。だが、せっかくの歌もすべて耳を素通りしていくばかりだ。

 やっぱり……。可愛げのない、作法ばかり気にしている女だと思われているのね……。
 思い当たる節は山ほどあるから、余計憂鬱になってしまう。



 休憩時間になると、彼はアリシアを脇に置いたまま、どこかの貴族と歓談し始めてしまった。
 少し離れて、着飾った人々が出入りする劇場のロビーに立ち、むくれていると、彼女の元崇拝者の一人、エドワード・フォーセットが挨拶にやって来た。

「久し振りですね。その後、お変わりありませんか? レディ・アリシア」
「ええ、あなたこそ、新しい恋のお噂、聞いていましてよ」
「参ったな。それもこれも、目の前のレディが、なかなかイエスと言ってくれないからですよ。ところで、最近のブラッドフォードとの噂は本当ですか?」
「……ええ、その……、一応は」
 話し込んでいる彼にちらちらと眼を向けながら曖昧に答えると、中年の紳士は心から残念そうに一礼して去って行った。
 少し心がとがめた。それもこれもレナードが……。わたしをいつまで放っておくつもり?
 苛立って違う方向を振り返ると、今度は、数年前、求婚を断って以来気まずくなった、またいとこのサイモン・アトキンスがゆったりと近づいてくるのが見えた。


「やあ、アリシア、しばらくだね。変わりなかったかい?」
 おしゃれな彼らしく、最新流行を取り入れた完璧なスタイルだ。大貴族の血縁者らしいのんびりした口調も変わらないが、少し顔色が冴えないようだ。
 確かにハンサムだが、やはりどこか好きになれなかった。それでも今は、レナードに放っておかれ、面白くないので話し相手ができて好都合だ。

「あなたこそ。フランスにいると聞いていたわ。いつ帰ったの?」
「三か月ほど前さ。特に南フランスの空気は最高だよ。いつか君も連れて行ってあげたいね」
「相変わらずね」
「それはそうと、婚約したんだって? 本当かな?」
「まだ……正式なものじゃないけど」
「ふうん、そうなのかい?」
 サイモンは屈託なくアリシアに笑いかけると、話題を変えた。
「そうそう、美しいシルクの生地を手に入れたんだ。君に似合いそうだから、また届けてあげるよ。他にも色々土産があるんだ」
「あなたからいただく理由はないのに……。でも、嬉しいわ」
 別に興味ある話題でもなかったが必要以上に愛想よく話し込んでいた。ふと、レナードがこちらをじっと眺めているのに気付く。


 サイモンと別れるや、皮肉な表情で歩み寄ってきた彼に、少し身構えた。
 何よ。先に、わたしをほったらかしたのはそっちじゃない。また怒り出すつもりなら、考えがあるわよ……。



NextBACKTopHome



----------------------------------------------------
10/9/28 再掲