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「おお、これはこれは……」
 侯爵にエスコートされて舞踏室に入っていくと、まず声をあげたのは招待客の二人の中年紳士達だった。
 これまた美しく着飾った継母が、唖然とした表情でこちらを見ている。だが、はっと我に返ったように、手馴れた愛想のよさで使用人に指示を出し、客達をさばき始めた。
 楽隊がワルツの楽曲を奏で始めると、ローレルを伴ったまま地主達と談笑していた侯爵が、ローレルの手を取った。
「ミス・パトリッジ、ファーストダンスのお相手を」
 ざわめきが起こった。戸惑うローレルを巧みにリードし、彼は華麗に踊り始めた。一曲目が終わり、二曲目になると、客達も二人に続いた。シルヴィアも顔を強張らせながら、客の紳士の一人と踊っている。

 だが、最初の輝くようなときめきが過ぎると、ローレルは内心複雑になってきた。彼を見ているレディ方の視線が突き刺さるようだ。おまけに何曲かダンスを終えると、いつの間にか人影のないベランダまで誘導されてしまっていた。

 周りに人がいなくなるや侯爵に抱き寄せられ、口付けされる。思わず目を閉じてしまった。我慢できないとでも云うように何度もキスした後で、彼はローレルを腕に抱いたまま顔を上げた。黒い 瞳が不機嫌そうに光る。

「この二日間ほど、姿が見えなかったね。またわたしから逃げ回っていたのかな?」
「別に、逃げ回ってなんか……。ただ、今日の準備で忙しかっただけですわ」
「そうなのかい? それじゃ今夜はその分も、君にお相手を願うとするか。決してわたしから離れてはいけないよ。他の男と踊ることなど言語同断だ」
「か、からかうのもいい加減になさってください。お相手はお継母様お一人じゃ足りないとでもおっしゃるんですか?」
「何の話だ?」
「もし、退屈しのぎのおつもりでしたら……、退屈なわたしなどより、あちらのレディお二人をお呼びになればいいんですわ。皆様、あなたと踊りたくてたまらないご様子でしたもの」
「おっと、どこへ行くつもりかな?」
 本気で眉を潜めているらしい侯爵に腹が立ってきて、こう言い返すとその場を立ち去ろうとした。だが察した彼が苛立ったように彼女を引き戻す。
「今夜は、まだ始まったばかりだ。それに、わたしの名はジェフリーだよ。パートナー殿には、名前で呼んでもらいたいものだね」
 背後からぴったりと抱き寄せられてしまい、あらわな首筋に吐息がかかる。頬を赤らめ、慌てて小声で訴えた。
「あなたはお継母様の恋人でしょう? でしたら、お継母様だけをお誘いするべきですわ。それとも貞淑であれというのは、女性に対してだけの道徳なんですか?」
「馬鹿なことを。いったい誰が、継母上とわたしがそういう関係だとそこまで君に吹き込んだんだ? ああ、聞くまでもない。シルヴィアだな?」
 彼が腕を解いて、顔を覗き込んできた。心底意外そうに問い返され、どういうこと? 違うの? と初めて疑問に思う。継母本人です、とは言えず控えめに応えた。
「それは……、見ていればわかるかと……」
「君の目は節穴か?」
 呆れたように睥睨され、ますます困惑してしまう。これはポーカーフェイス? それとも本当になんとも思っていらっしゃらないの?
 ローレルの沈黙に、彼は我慢の限界に達しそうだった。

「では、ここではっきりさせておこう。君がお継母上から何を吹き込まれたかは知らないが、今、わたしが関心を持っているのは君だけだ。お継母上でも、どこかのレディでもない!」
「えっ?」
「それに、相手をよく知りもしないうちから、決め付けるべきじゃないな。わたしとのキスは、君にとっても悪くなかっただろう?」
「あ、あなたなんか……紳士の風上にもおけないと思いますわ」
 露骨な言い方に真っ赤になってこう言い返したが、彼は不敵に笑い声を上げただけだった。
「それで結構だとも」
 まったく悪びれない態度にかっとなり、思わず相手の頬を引っ叩こうと手が伸びる。
「おっと!」
 だがそれは難なくかわされ、逆に手首をぐっと掴まれてしまった。急いで引っ込めようとしたが、指先に唇を寄せ、そっと舌先を這わせるようにエロティックなキスをされて、一層どきどきしてきた。そのまま表情を探るように顔を覗き込まれる。
「わたしでは、君のお相手として役不足かな?」
 思いがけず真剣な声と眼差しだった。ローレルはどうすればいいかわからなくなった。顔が近づいてきて、自分のものだと言わんばかりにもう一度口付けされても、抵抗もできない。
 かつて婚約させられそうだった相手とキスすることなど、考えただけでもぞっとしたが、今は全く違う。むしろ身体中が熱くなり、胸が激しく高鳴るのはどうしてだろう?


「ローレル! どこへ行ったの? 貯蔵室のワインを見てきてほしいのに」

 怒りを帯びた継母の声がだんだん近づいてきて、魔法のひと時は潰えた。慌てて体を引き離し、ホールに戻ろうとするが、彼に引きとめられて振り返る。
「離して。お継母様がお呼びだわ。ワインを見に行かなくては……」
「そんなことは、使用人にさせておくんだ。君が行く必要はない!」
「だめよ、何か問題があったのかもしれないもの」

 制止を振り切って駆け出していく彼女を見送る侯爵の目に、いつになく暗い輝きが浮かんでいた。


◇◆◇  ◇◆◇


 パーティの翌朝、さわやかな風に吹かれながら、ローレルは馬で森へと走っていった。いつもの落ち着ける場所まで来ると、まもなく終わろうとしているブルーベルの花を見ながらぼんやりと佇む。
 来年もこの花を見ることができるだろうか。そう思うと、ふいに泣きたくなってきた。
 その時ひずめの音がした。はっと顔を上げると、乗馬服姿の侯爵が馬の歩を緩めて近付いて来るのが見える。

「おはよう。馬で一走りと思ったら、君が先に出て行ったのでね。急いで追いかけてきたんだ。やっぱりここだったね」

 馬から下りて歩み寄ってくる彼を強く意識しながら、同時にローレルは決まり悪いものを感じていた。夕べは結局、あれから裏方に引っ込んでしまい、パーティ・ホールには戻らなかったからだ。
「侯爵様……」
 消え入りそうな声で呟いた彼女に、彼は皮肉に微笑み返した。
「夕べは、実に素晴らしいパーティだったよ。君の持つ多くの才能には、目を見張るばかりだな」
「………」
「しかし、わたしとの約束を途中ですっぽかしたことについては……」
「わたし、お約束なんてしていません! あなたが勝手におっしゃっただけで……」
「逃げるんじゃない」
 どんどん近付いてくる彼を前に、後ずさってきびすを返そうとしたが、うっかり足元の石につまずいてよろめいたところで捕まえられてしまった。


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14/5/3 更新