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「お気にさわったかな? しかし、衣服が人をつくる、と言う言葉もあるんだ。知っていたかい?」
「も、もちろんですわ」
 その言葉に含まれた自分への皮肉に気付き、頬を赤らめた。これ見よがしに富を見せ付けるなんて、なんて嫌な人なの!

 教室に戻り、腹立ち紛れに自分の本と麦藁帽子を取りあげる。もう侯爵など無視して立ち去りたかった。だが、黒板の計算式を見ているうちに少し頭が冷えてくる。客観的に見ると、彼は間違っていないかもしれない。
 ためらいながら、ローレルは彼の前に戻ると、硬い声で礼を述べた。

「わたしの生徒達にご配慮いただき、感謝いたします。お陰様でリサも医者にかかれますわ。それでは……」
「館に帰るのなら、お送りするが?」
「結構ですわ。もう放って置いてください!」
 抑えようとしても、つい感情的になってしまう。おや? とからかうように眉を上げた侯爵を、怒りをこめて見返す。何だか半ばヤケになっていた。
「あなたは母とのお話合いで来られたのでしょう? わたしのことなんか、もう放って置いてください。どうしてここまでなさるんです?」
「さてね。実はわたしも、昨夜から考えていたんだが……」
 侯爵が目を細めてつぶやくように言った。
「君と、以前どこかで会ったことは?」
「まさか。あるはずがないわ」
 内心ぎくりとしながら反射的に答える。彼がもし思い出したら、と考えただけで恥ずかしく、いても立ってもいられない気がした。
「そうだったかな?」

 何かが引っ掛かっているのに思い出せない。彼の中にそんなもどかしさがあった。それとも何かの勘違いだろうか。

 気が付くと、彼女は立ち去っていくところだった。威厳と美しさを湛えた後姿を見送りながら、侯爵の目に複雑な色が浮かんでいた。 彼の視線を感じながら、ローレルは自分のささやかな教育事業に、新たに課題を突きつけられたと感じていた。


「ああ、困った……。あまりひどくお怒りにならなければいいのですが……」
 背後からため息交じりの声が聞こえ、振り向くと、初老の牧師が気まずそうな面持ちで立っている。
「彼女は男爵令嬢だ。なのに、なぜ教師の真似事など?」
 帽子をかぶり直しながら、はらはらしている牧師に渋い顔で問いかける。
「ミス・パトリッジは慈善事業や教育にとても熱心な方でございます。前任の教師が辞めてから、ずっと無償で教えてくださっているのです。わたくしどもの大切な後援者なのですよ」
「それは……、奇特なレディもいたものだ」
 皮肉に呟きながら、どうも気に食わなかった。挑戦的にきらりと目を光らせ、彼はポケットからさらに数枚の紙幣を取り出した。はっと目の色を変えた牧師に、それを手渡しながら冷たく微笑む。
「あなたの後援者は彼女だけではないと、わたしが請合います。至急、新聞広告を出して、良い教師を探させましょう。さらに成績優秀者は都会の学校に進学できるよう、奨学金を考えてもいい。明日にでも、パトリッジ館にて相談しましょう。それでは失礼」

 それだけ言うと、彼はきびすを帰して馬車でなだらかな丘を下っていった。


◇◆◇  ◇◆◇


 気持の良い黄昏時、ローレルはパトリッジ館の裏庭で早咲きの薔薇を切って手元の籠に入れていた。ホールの大きな花瓶に飾ればさぞ生えるだろう。

 一昨日、学校の前で別れてから侯爵を避けていた。感情を抑え切れなかったことが恥ずかしく、いっそ、もう顔を合わせないうちにロンドンに帰ってくれればいいのに、などと思ってしまう。
 今日、館を訪れた牧師から、新しい教師募集のことや奨学金の計画について相談され、非常に驚いていた。だが奨学金があれば、有望な生徒には輝かしい未来が開けるし、教育レベルをそこまで高めるには、自分が教師では役不足だとわかっている。そして、リサが医者のおかげで快方に向かったと聞き、心から安堵していた。悔しいけれど、彼の支援は的確に要所を突いていると認めざるを得ない。

 その時、こちらに近付いてくる侯爵に気付いた。乗馬服姿のところを見ると、馬で外出でもしていたのだろうか。逃げ去りたくなるのをぐっとこらえ、花を切り続ける。


「やっとお目にかかれましたね。まだご機嫌斜めなのかい?」
 茶目っ気のある問いに、つい力が抜け、くすっと笑ってしまう。
「別に気にかけてなんかいません。こちらこそ、生徒達へのご支援に心から感謝しておりますわ」
「大したことではないさ。君が喜んでくれるなら、代償としては安いものだ」

 彼は傍にやってくると、彼女が切ったばかりの薔薇のつぼみを一輪取り上げ、指でくるりと回しながら、世間話でもするように尋ねた。
「君は、どうしてロンドンの社交界に出ない?」
 びくっとしたはずみに、切っていた薔薇の棘で指先を傷つけてしまう。
「つっ……」
「おっと、大丈夫か?」

 反射的に彼女の手をとり上げ、血を流している指に唇で触れた。びくっと引っ込めようとするのを押し留め、ポケットからハンカチを取り出す。その拍子に、ふいに忘れ去っていた記憶の中から、今と同じように血を流して震えている少女の姿がぼんやりと浮かんできた。瞬きして、ローレルをまじまじと見つめ直す。

「君……?」

 掴まれた手を今度こそ振り払うと、ローレルは急いでかがみこんで、落ちた花を拾いあげた。
「だ、大丈夫ですから」
 だがその手は今、傍目にも判るほど震えていた。そのまま薔薇の籠を抱えて立ち去ろうとしたが、彼は再び前に回り込むとローレルと正面から向き合った。無言でじっと見つめながら、邪魔な花籠を彼女の手から強制的に取り上げ脇に置いた。さらに強引にハンカチで指先の傷をぬぐいながら、なおもさっきの問いを続ける。

「この話が嫌なのか? どうしてなんだ? 普通は遅くとも十八になる頃にはデビューするものだよ。シルヴィアにロンドンに連れて行ってもらえばいいじゃないか」
「わたし……、そういう場所にあまり行きたいと思えませんので」
「本気で言っているのか? 君くらいの年頃のレディなら、誰でもロンドン社交界に出て結婚相手を探すものだ」
「余計なお世話ですわ!」

 かちんときて、彼女はとがめるように侯爵を見上げた。見開かれたアメジストの瞳にいっそう熱がこもり、彼も思わず釘づけになる。

「わたしぐらいの歳のレディなら、百人中九十九人はあなた言うとおりだとしても、わたしはそうじゃないわ。あんな頭が空っぽな人達の中で、ドレスや立ち居振る舞いのことばかり気にしなければならないような毎日が楽しいとは、どうしても思えないんです。わたしはここで自分の土地が豊かになっていくのを見守ったり、子供達に文字や計算を教えている方が性に合っているんです」
「なるほど……、一度出たことはあるわけだ。それでお気に召さなかったのか? 気持はわからなくもないが、もったいない話だな」

 もう血は止まっていた。からかうように微笑むと、彼はそっと指先で彼女の滑らかな頬に触れた。思わずびくりとする。


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14/4/21 更新