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PAGE 2


 幾度も深いキスを交わすうち、どんどん後戻りできなくなっていくのを感じたが、戻りたいとも思わなかった。
 だから、彼の手がまだためらうようにガウンを床に落としたときも、抗議さえしなかった。それどころか、自ら身体をそらし、夢中になって彼に押し付けていく。身も心も、彼を求める気持があまりにも強くなっていた。

 彼の方でも、ケリーよりもっと激しく求めてくれているのが、張りつめきった身体から伝わってくる。それが嬉しくて、女として誇らしかった。

 ケリーにとって、コールは生まれて初めて心から求めた男性だった。そのまま抱きあげられて傍のベッドに下ろされる。ついに、彼の熱い裸体が覆いかぶさってきたとき、経験のない彼女は、ただ太古からの本能が赴くまま、夢中で自分を与え尽くすことしかできなかった。
 だが、身体の高まりとは裏腹に、彼を迎え入れようとした時に感じた痛みは、話に聞いた以上だった。思わず全身を強張らせてあえいだケリーに、彼が驚いたように動きを止める。

「初めてだったのか……」
 ケリーのうるんだ瞳を覗きこみ、彼が問いかけた。答える必要はなかった。彼はもう何もかも知っているのだから。
「なぜ最初に言わなかった? 知っていたら、もっと違う風に……」
「いいの! これでいいの! お願い、コール、早く……」
 体の奥で何かが爆発しそうな予感に震えながら、ケリーは覆いかぶさっている彼の肩に爪を立て、夢中ですがりついて懇願した。わかった、というように優しく口づけた彼の動きが、抑えた穏やかなものに変わっていった。
 幾度も愛撫を重ねながら、初めての体を未知の悦びの高みにまで導き上ってくれる。
 ついに、彼女の唇から抑えきれない悲鳴がほとばしった。無我夢中で弓なりに反りかえった体を、コールがしっかりと抱きとめ、全身で包み込む。
 全てが終わったとき、ケリーは目を閉じたまま、すすり泣いていた。
 しばらくの間、熱いぬくもりを共有しながら寄り添って、二人はただじっとしていた。

「……君は、僕のものだ」
 まだ少し紅潮したケリーの顔を上げさせて、彼がぽつりと呟いた。はっとして目を開けると、彼の瞳が細められ、所有欲に満ちてきらめくのが見えた。
 そのまま、もう一度覆いかぶさってきた彼の体を、ケリーも両腕を広げてしっかりと抱き締める。
 今度はさっき以上の大胆さで、コールは深く激しくケリーの全てを奪い取り、そして全てを与えてくれた……。


「こうなったこと、後悔してないだろうね?」
 送ってもらったアパートの前で車から降りようとしたケリーを止めて、彼が静かに問いかけた。
 少し心配そうなその顔を見つめ返し、ケリーははっきりと答え、微笑んだ。
「もちろんよ」
 彼がほっとしたようにキスしてくれた。先ほどの情熱を思い出すような熱いキス。余計なことを言えば、この幸せがシャボン玉のように壊れてしまいそうで怖かった。
 彼と別れ、一人アパートに入った時も、ケリーはまだ夢見心地のままだった。


 それから数日後、午後5時の終業時刻近くになって、ケリーの職場に予告もなくスーツ姿のコールが現れた。
 周りの視線も気にせず、仕事が終わるのを待っていた彼に、正式なディナーへと連れ出されてしまう。

「ケリー、食事の前に、これを受け取ってくれないか?」
 レストランに向かい合わせに座って注文した後、彼は少し緊張した面持ちで、ケリーの前に指輪のケースを差し出した。
 おそるおそる開くと、ビロードの台座に見事なカットのダイヤのエンゲージリングが煌めいている。
 予期せぬ展開に、何と言えばよいかわからず、ただ指輪と彼の顔を、交互に見比べてしまった。
「どういうこと?」
 呆然とつぶやいたケリーに、コールがじれったそうに身じろぎする。
「わかってるだろう? 僕と結婚してほしいと言ってるんだよ」
「ほ、本気で? 本当にわたしと結婚したいと思ってくれているの?」
「ああ、これ以上本気にはなれないってくらいだね。受け取ってくれるね?」

 それは問いかけというより確認だった。おずおずと頷くと、彼は勝ち誇ったように男らしい笑顔を見せた。ケリーの胸がまた激しくときめく。
「ええ、コール! もちろんよ」
 つい涙があふれてしまった。泣くことなんかないだろ……、と言いながら、彼の指先が優しくぬぐってくれる。
 いつの間にか、こんなにもこの人を好きになっていたなんて……。
 ケリーは差し出された乾杯のワインを受けながら、思いがけない幸福に酔いしれた。


◇◆◇  ◇◆◇  ◇◆◇


 そう、本当に酔いしれていた。馬鹿な小娘だったわたし……。

 道路標識に混じって「Burford」と書かれた案内板が目にとまった。
 もうすぐだわ。ケリーは次々に襲ってくる追憶から現実に立ち返ろうと、カーナビをちらりと見やった。
 目の前の急斜面を下ると、中世を思わせるような美しい橋が現れ、視界が大きく開けてくる。
 緑の絨毯に色とりどりの花を敷き詰めたような丘が、なだらかにカーブを描きながら、遥か向こうまで広がっていた。どこかノスタルジックになる風景だ。
 奇妙な感覚を振り切るように再びハンドルをきつく握ると、彼のファームハウスに続く道へ、車を乗り入れた。

 ここは、少しも変わらないのね……。

 時代の波もそれに伴う変化も、まったく無縁と言っていいほど、時の流れが緩慢な場所。
 日々押し寄せるハイテクノロジーの波さえ届かない、隔離された特別な空間のようだ。
 予定に追われ、分刻みにあくせく過ごす都会とは、まるで別世界のように思えてくる。

 だけど、もう本当に忘れてしまわなくては。何もかも……。
 そう、あの幸福な日々は、見せかけにすぎなかったのだから。

 疑うことを知らない純真な花嫁だったケリーも、すぐにそれを嫌と言うほど思い知らされることになった。



 コッツウォルズには、コールが「ホーム」と呼んでいる大きなファームハウス風の家があった。
 ロンドンのフラットよりも、こちらに滞在する期間の方が圧倒的に長いらしい。ケリーが婚約して仕事を辞めると、コールは彼女を連れてここに戻ってきた。

 そして二人は、よく晴れた秋の日に、近くの教会で参列者は数人だけ、というごく簡素な結婚式を上げた。
 ハウスに戻ってくると、彼はテラスから続くダイニングルームに、先日完成させたばかりのケリーの絵を掛けて、こう言った。
「ハニー、僕から君に、結婚の贈り物だよ」
 光と自然の中で生き生きと息づき、微笑んでいる白いワンピースの女性は、少女のようにも大人の女のようにも見え、清らかさとイブのような奔放さとが同時に表現されていた。
 ケリーは目を輝かせてその素晴らしい絵と、今や夫となった彼を交互に見比べ、はにかむように頬を紅潮させた。
 そんなケリーをじっと見ていた金茶色の瞳が、ふいに色濃くなった。次の瞬間、コールはまだ花嫁衣装のままだった彼女を強い腕に抱き上げ、花で飾られた二人の寝室へと運んで行った。

 ずっとあのままで居られたら、どんなに幸せだっただろう。

 だが、衝撃の事実は、それからわずか二か月後に襲ってきた。


 ある日の午後、予告もなくファームハウスの前に派手なスポーツカーが止まった。コールはおとといから仕事でバースに出かけ、留守にしている。
 応対に出たケリーの前に、ブランドスーツをまとった華やかな女性が立っていた。コールと同年配くらいだろう。だが、その人は確かに美しかった。つややかな黒髪を背中に流し、きつい目でケリーを値踏みしている。
 やぼったい普段着姿の自分の格好を、嫌でも意識させられてしまう目だ。

「あなたがコール・グラントの奥様なの?」
 椅子に座ると、彼女は馬鹿にしたように赤い唇をゆがめた。
「はい、そうです。はじめまして。夫はただ今不在ですが……」
 おずおずと返答しかけた彼女に、相手は嫌な笑いを浮かべて、ずばり切りこんできた。
「アメリア・ギブソンよ。彼がよく展示会を開くギャラリーのオーナーなの。コールとはもう長いこと、仕事でご一緒しているわ。もっとも長いのは、仕事上のお付き合いだけじゃないけれど。今朝も、バースでコールと一緒に過ごしていたんですもの」

 その言葉の持つ意味にぎくりとしたが、まさか……、と、とっさに打ち消した。
 緊張しながらお茶を入れている間、彼女は壁に掛ったケリーとわかる絵をじっと眺めていたが、お茶を勧めるや、こちらを振り返って容赦なく続けた。
「あら、お構いなく。彼の忘れものを持ってきてあげただけなの。あの人ったら、今朝は慌てていて、わたし達のベッドにこれを置き忘れていったのよ」
「え? あの……」
 目の前に彼のジャケットを突き出されても、とっさに意味を解しかねて、ケリーは呆然と相手の顔とその服を見つめるばかりだった。


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12/06/10 更新