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PAGE 10


「ちょっと待って! わたしが、あなたと国の運命を変える? とんでもないわ! どこからそんな話になるの?」
「僕が幼い頃、宮中の占星術師がそう占ったんだ。僕の運命の輪を回すのは翡翠の輝きだとね。話半分に聞いていたが、こうなって来ると……」
 それで、わたしの名前にああいう反応を見せたのね……。妙に納得しながら、なおも首を横に振り続ける。
「わたしにそんな力はないわ。あなたの運命を導くのはあなた自身よ」
 そう突き放そうとした彼女に、王子は穏やかに微笑んだ。
「その話はまたゆっくりすればいい。ジェイド、アルハンブラの千一夜物語はこれで終わりだ。もう動けるか?」

 頷くと、アシュラフに支えてもらいながら、ゆっくりと丘を下りていった。心の中は嵐が駆け抜けた後のように千々に乱れ、そして奇妙に静まり返っている。
 自分達を取り巻く一連の不思議な現象は、きっと彼の推察通りなのだろう。誰に言われるでもなく、そう自分の心が納得している。
 だけど、今のわたしに何ができるの? どうして、二人は再び巡り会ったのだろう?

 近付いて来る彼らに気付いたように、待っていたドライバーが車に乗り、エンジンをかけた。
 まさにその時だった。

 突然、車の内部から破裂音が聞こえ、フロントガラスが割れてボンネットから黒煙と炎が噴出したのが見えた。二人ともぎょっとして棒立ちになる。だがアシュラフはすぐさま我に返ると、「いかん、ハッサン!」と叫んで走り出した。そこへ傍の茂みからアラビア語の、唸るような声が聞こえた気がした。
『畜生、しくじったぞ。こうなったら……』
「アシュラフ! 誰か居るわ! 気をつけて」
 急いで彼の後を追いながら声をかけたジェイドに、アシュラフがはっとしたように叫んだ。
「ジェイド!」
 その声とともに、彼女を抱きかかえるようにして傍らの車の陰に飛び込んだ。ほとんど同時に銃弾が飛んできて、二人が咄嗟に隠れた車のボディに当たる。車に穴が穿たれたが、一瞬姿を見せた敵もまた藪に消えてしまう。
 アシュラフがぎりっと歯噛みして、背後で炎を上げる車を見た。ほっとしたことにドライバーは血を流しよろめきながらも、自力で車から這い出していた。それを見たアシュラフが、ジェイドに囁きかける。
「奴らの狙いは僕だ。僕が奴らの目を引き付ける。その隙にハッサンを頼む」
「そんなの危険過ぎるわ、駄目よ!」
 だが彼はジェイドに素早くキスし、自ら車の陰を動いて事故車と反対方向に離れて行ってしまった。
 彼が言う通り、ターゲットは彼だけのようだ。車の間を素早く動き回る彼を追う様に、弾丸が続けて三発、そしてさらにもう一発打ち込まれたが、いずれも車のタイヤやミラーに当たっただけだった。
『こん畜生!』
 何台かの車を越えて、敵の方角から比較的安全な塀の陰に身を寄せると、アシュラフは激しい怒りをこめて茂みに潜む敵に向かって叫んだ。

『お前達は何者だ!? アブドゥラ将軍の手の者か?』
 王子のアラビア語の問いかけに、茂みの中から居直ったように答えが返ってくる。
『敵国と結託し、売国行為を働こうとする王子アシュラフよ! 神と預言者の名において裁きを受けるがいい!』
『愚かな! 王家の者に手を上げるか! それは預言者の代理人に手を上げるも同然だ! わたしを殺せば国の未来はますます混迷すると、わからぬか! 今、国を改革できるのはわたし以外誰も居ない!』
 アシュラフが発した火の様な言葉に度肝を抜かれたように、いつしか襲撃者達の動きが止まっていた。

 ジェイドは身を低くしてドライバーのハッサンに近付いていった。彼は燃え始めた車から数メートルの所で、力尽きたように仰向けに倒れていた。服も皮膚も黒煙で黒く汚れ、頭と腕から血を流して荒い息をついている。ジェイドは夢中であたりを見回し、大声で叫んだ。
「誰か来て! 助けて! 早く!」
 それに応えるように、遠くから消防車のサイレンが聞こえてきた。と同時に坂の上の宮殿警備室から、そして通りの向こうからも慌しい声や足音が聞こえ始める。爆音と燃え始めた車を見た誰かが、すぐ通報してくれたのだろう。警備員や武装した警官達がこちらに駆けつけてくるのが見えた。
 状況を悟り、襲撃犯はその場から逃れたようだ。それ以上のことは何も起きなかった。


 消火され安全確認がなされると、スペイン警察は現場を検分し、ボンネットがひどく焼け焦げた車の状態を詳しく調べ始めた。怪我をしたドライバーの手当てと事情徴収のため、ジェイドとアシュラフも警察のワゴン車に乗るよう丁重に要請される。


◇◆◇  ◇◆◇


 それから二時間後、二人はグラナダ市内の病院にいた。ハッサンは即時入院となり、王子は厳しい顔で沈黙したままだ。
 急を聞いて、アリ・ザイードが屋敷から駆けつけてきた。二人を見るなり調達してくれた新しい服に着替えたお陰で、幾分ほっとしたが、アシュラフはまだ表情を強張らせている。

 ハッサンの処置が終わったと聞くや、彼はベッド脇に来て、刑事達も立ち合う中で自ら質問し始めた。

「駐車場付近で誰か見かけたか? いったいあそこで何があったんだ、ハッサン?」
「いいえ……。わたしは先に戻って、タバコを吸いながら旦那様のお帰りをお待ちしていたんです……。お二人が下りて来られるのが見えたので、車のエンジンをかけました。その途端、大きな破裂音がして車のガラスが割れて……、すぐにボンネットからもうもうと煙と火が……。ふらふらしながら、とにかく必死で這い出したんで」
「前もって何か爆発物が仕掛けられていたようですが、車に乗った際、異常に気付かなかったんですか?」
 中年の刑事が彼の言葉を録音しながら口を挟んだが、ただ力なく首を横に振っただけだった。
「では皆さんが車から離れておられる間に仕掛けられたようですな。エンジンから起動する爆弾を……」
 警官がアシュラフに言う。ドライバーも枕の上でこわごわ彼を見上げている。
「旦那様、申し訳ないことです」
「いや。とにかくお前が、全治二週間程度で済んでよかった……」
 スペイン語の会話の要点だけ何とか聞き取りながら、ジェイドは改めてぞっとしていた。
 もしあの時、全員が車に乗っていたら、もっとひどいことになっていたかもしれない……。


 その時病室にノックがあり、若い刑事が入ってきた。現場から街道五キロの地点で、怪しいアラブ人を二人逮捕したと言う。
「セニョール・サルマーン、彼らの取調べにもおいでくださいますか。そちらのセニョリータもです」
 スペイン警察の要請に、アシュラフは厳しい表情のまま従った。車内でも一言も口を利かない。彼がまた遥か遠い人になってしまったようで、酷く心細くなってくる。
 警察に到着するや、逮捕された男が彼の国の少数部族の者と聞かされた。それまで忍耐強く沈黙していた彼が、怒りに歯を噛み締めたのをジェイドは見逃さなかった。


「彼らと話せるだろうか?」
「はい、セニョール。こちらです」

 スペイン警察も、どうやら彼には敬意を持って接しているようだ。問題の男達は手錠をかけられ、取調室のパイプ椅子に座っていた。入ってきたアシュラフを、固い面持ちのまま見上げる。

「お前達、アブドゥラ将軍の手の者か? なぜ、わたしを狙った? 今頃になって」
 彼らの前に立ち、じっと二人を見下ろしながら問いかける。
「……お許しください。将軍のご命令だったのです。我が国の安定と平和のため、王子にもし何か動きあらば……と」
「動き、とは?」
「アメリカから女が来たと聞き、てっきり反体制派の連絡役だとばかり……」
「なるほど。我が家にはまだ、未発見の盗聴器が仕掛けられているらしい」
 無表情に呟いた彼が、その男に再び厳しい目を向けた。
「お前達の他に、まだ仲間がいるのか?」
「は、はい、あと二人ほど……。ずっと潜伏しておりました。俺達が捕まったから、もう市外に逃げ出したかもしれません」
「警察に正直に全て話すがいい。捜査に協力すれば、減刑されるだろうからな」
 厳しい顔でそう告げると、後は警察の仕事だとばかりに取調室を出て行こうとした。その時ふいに「殿下!」とかすれた声がかかり、振り返る。

 それまで黙っていた若い方の男が、思い詰めた表情を王子に向け、嘆願するように声を上げた。

「将軍から、何か動きがあればあなたを暗殺しろと命じられておりました。それが我が国の平和と安定のためだと。しかし、たった今それが間違っているとはっきりわかりました。あなたこそ、我らがシークです。どうぞ、国にお戻りください。そして、我が民達を解放してやってください!」


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13/11/18 更新
少し更新が遅くなってしまいました。
ここからお話は「転」に入りました〜。
引き続きよろしくです〜〜☆