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「それは、つまり……」
 母の意図がわかり、咄嗟にルシアを見やった。豊かな髪を流したまま素肌にガウンをまとった彼女は、甘やかに咲いたばかりの薔薇のようだ。そう、彼女ならきっとできる……。
「わかりました。一時間後に行きます」
 電話を切って手短に伝えると、ルシアが驚いたように目を見開いた。
「無理よ、急にそんなこと言われても……」
「できるかできないか、会場で君が判断すればいい。あの母が呼んでいるんだ、とにかく行こう」

 混乱しながらルシアも頷いた。二人はあわただしく身支度を整え、ラファエロの車でミラノ・コレクションの会場に向かった。


 現場に到着すると、かなり騒ぎになっているようだった。
 モデルが数人、服を当てて見ているが、監督らしい男が難しい顔をしたままだ。デザイナーが首を縦に振らないらしい。

「もしかして、ミスター・レオパルディですか?」
 ルシアの呼びかけに振り返ったデザイナーは、彼女の顔をまじまじと見て、驚きの声を上げて近づいてきた。
「これは、ルシアじゃないかね!  なんだ、君はミラノにいたのか。これは千載一遇の出会いだな!」
「シニョール・レオパルディ、ご存知なのですか? この娘を」
 伯爵夫人も驚いたように問いかけると、そのイタリア人デザイナーは笑顔で、「もちろん」と答えた。
「ロンドンでの彼女を御存知じありませんか?  最近見ないと思っていたが、まさかここで逢えるとは! 彼女がここに居るのは聖母の助けですよ。残りは彼女で行きましょう! ルシア、5着だ。できるね?」
 当のルシアも、びっくりしたように立ち尽くしていたが、すぐにやってみます、と決心したように頷いた。
「はい!」
 彼女が応えるや、舞台監督がドレッシングルームにドレスを持っていくよう助手達に命じている。
「大丈夫なのかい?」
 ラファエロが複雑な心境で問いかけた。なんだか恋人が急に見知らぬ遠い女性になったような気がしてくる。
「わたしにできることって、これくらいしかないもの。お母様のためにも、お手伝いできれば嬉しいわ」
 ゆるく縛っていた髪を解きながら、ラファエロに微笑みかけると、デザイナーのレオパルディ氏や監督の言葉にうなずきながら、ドレッシングルームへと消えていく。

 あとは、彼女に任せるしかないか……。
 T字型のステージ近くの席に、母や渋面のロザンナと一緒に座りながら、ラファエロは内心はらはらしていた。ライトがめまぐるしく交差し、いよいよミラノコレクション最終日のショーが幕を開く。

 しなやかな足取りで次々に出て来ては、たっぷりと新作ドレスやブランド服を見せ付けて戻っていくモデル達に混じり、ミニワンピースやパンツスーツでさっそうと歩いてくるルシアは、多くのモデルの中でもひときわ堂々として、与えられた服を完璧に着こなしているようだった。幾重にもフラッシュがたかれ、ブラーヴェ! と歓声が上る。
「何とかなったようね。彼女、なかなかじゃないの」
 ほっとしたように伯爵夫人が言うのを聞きとがめて、ロザンナが意地悪い視線を舞台に向けた。折りしも、ルシアが最後のドレスをまとって歩いてくるところだった。真剣な眼差しで彼女の一挙手一投足を追っているラファエロを悔しそうに見やり、伯爵夫人に向かって悲しそうな声を上げた。
「でも、おば様、わたし、あれから色々調べてみたんです。ラファエロには本当にお気の毒ですけれど、彼女は実は……」
「ロザンナ、まだステージは終わっていないよ?」
 慇懃だがぞっとするほど冷たいラファエロの口ぶりに、ロザンナもためらうように黙った。何か言いたそうだが、こんな場所で口にされては誰が聴いているか知れたものではない。
 最後のモデルがファイナルドレスを披露して終わるや、ラファエロは母とロザンナを早々に会場の舞台から外に連れ出した。
 だが、伯爵夫人は気がかりそうに、ロザンナに問いかける。
「ロザンナ、あなた、さっき何をおっしゃりたかったの? あの人が何か?」

 普段は温厚でやさしいラファエロが、氷のような目でこちらを見ている。全部、あの女のせいだわ。
 ロザンナの中に、嫉妬の炎が一層燃え上がった。彼が楽屋に向かおうとするのも引き止め、わざとらしく声を上げる。

「ええ、おば様、あのモデル、ラファエロのお相手としては、どうかと思いますわ。何しろ、生まれがロンドンのスラム街だそうですもの」
「スラム!」
「ロザンナ!」
 夫人が天井を仰ぐのと、ラファエロが制止しようとしたのと、ほぼ同時だった。
「わたし、昨夜すぐに弁護士に頼んで調べてもらったんですの。先ほど返事が参りましたわ。ラファエロったら本当に人がいいこと、人を疑うことを知らないのね。彼女ならあなたを手玉に取るくらいわけないわ。いいように騙されているのよ」
「まぁ、本当なの? それは……」
「まさか! そんなはずないだろう!」
 母の目に強い非難の色を読み取って、ラファエロはロザンナの首を絞めたくなる凶暴な衝動と闘った。だが、ロザンナはまだ得意げに続けている。
「ああ、おば様、どうかラファエロをお叱りにならないで。彼はただちょっと騙されただけですわ。何しろ彼女の親というのも、工場労働者上がりの職人だと……」
「ロザンナ、少なくとも君よりは尊敬に値すると思うがね。君はやっぱり最低だな。人としてね」
 ラファエロが静かな怒りを込めて苦々しく吐き捨てた。伯爵夫人が嫌悪を隠すようにハンカチを口元に押し当てている。ロザンナが怒ったように声を上げた。
「何よ! 未来のサンマルティーニ伯爵夫人がロンドンのスラム街出身だなんて、誰が納得してくれるのかしら? お父様だって、お知りになったらきっと!」
「ロザンナ、もうやめるんだ!」
 なおも言い募ろうとする彼女を鋭い目で押し留め、ラファエロは不快のため息を漏らした。全く気の毒な人達だ。自分自身が家柄や生まれにしがみついているから、そんなことでしか人の価値を測れないのだろう。

 そのとき、ことりと背後で音がした。
 振り返ると、元の服に戻ったルシアが大理石の柱の陰に青ざめて立っている。
「あらまぁ、ちょうどよかったわ、当の本人がいらっしゃったわよ。あなたも何かおっしゃったらいかが?」
 ロザンナが得意げにルシアの前に進み出て、高飛車に声をかけたので、ラファエロの胸は怒りで煮えくり返った。ルシアを守るように間に立つ。
「ロザンナ、君も人生の伴侶が欲しければ、そういう態度はもうやめるんだな。ルシア、行こう」

 だが、ルシアは青ざめてはいたが毅然とロザンナを見返した。そして視線を移し、ラファエロとロザンナの前を無言で通り過ぎると、伯爵夫人にゆっくりと歩み寄っていった。

「どうか御安心ください、シニョーラ。わたしはただ、昨日のパーティのパートナーというお約束で来ただけですから」


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15/11/6 更新
次回、最終回です〜。