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 月明かりの中、彼女が大きな目を輝かせてこちらを見ている。
「ラファエロ……、さっきのお話、やっぱりお受けするわ。わたしをミラノに連れて行ってちょうだい!」
「もちろんさ。よーし、いいぞ!」
 思いがけない喜びがこみ上げてきた。ラファエロは一歩で彼女の前に立つと、両手で抱え上げ、歓声を上げてくるくると回った。
「きゃっ、ちょっと、ラファエロったら」
 ルシアの笑い声も甲高くなる。彼女を下ろすと、やや興奮したようにその顔を覗き込んだ。
「じゃあ、約束したよ。パーティは5日後だから、4日後に迎えに来るよ。特別な準備は何もいらない。こちらで全部用意するからね」
「パーティドレスが一番問題よね。でもわたし、本当にたいした服は持っていないのよ。あなたの御一族様が、それでも大丈夫だといいけど……」
 少し心配そうに見上げる。そんなルシアの口をふさぐようにキスすると、彼は嬉しそうに彼女をアンジェラの家まで送り届けた。
 これでよかったの? よくわからないけれど……。
 ラファエロは通りに立ったまま、彼女が家の中に入るまで見守ってくれている。その強い視線を全身で感じていた。


◇◆◇   ◇◆◇



 ミラノの空港くらい、わたし一人で行けるから大丈夫。忙しいあなたが往復するなんて、時間がもったいないわよ。
 ルシアがあくまでそう言い張った結果、航空券のeチケットだけがメールで送られてきた。

 ヴェネチアのマルコポーロ空港から国内線で約一時間。ミラノのリナーテ空港まで迎えに来たラファエロが、ポニーテールにブラウスとタイトスカートといういつものスタイルの彼女を見て、嬉しそうな笑みを浮かべる。

「ミラノへようこそ、カーラ」
 軽く、しかし愛しげなキスと抱擁とともにささやかれると、ルシアのハートも高なってくる。

 ミラノは噂に違わぬ大都会だった。彼の車で中心街に入っていくと、ミラノの象徴ともいえる壮麗な白いドゥオモが見えてきた。思わず興奮の声を上げてしまう。

「まずはドゥオモの見学、それから食事をして、夜はスカラ座にでも行くかい?」
 助手席の窓から食い入るように大聖堂を眺めているルシアに、運転席の彼が提案すると「素敵だわ」と笑い返す。
「よかったよ、楽しそうで」
 ラファエロに、からかいのこもった笑顔で言われ、興奮している自分に気付く。


 北イタリアの中心地として古くから栄えてきた都市ミラノ。その歴史や伝統とともに、ファッション・モード界の情報発信地としても名高く、洗練された店舗も多いと聞いていたが、聞きしに勝るようだ。思わず夢中になるほど魅惑的な街だった。
 イタリアンゴシック建築の代表とされる壮麗な大聖堂は、五百年もの歳月をかけて建設されたという。無数の繊細な細工が施された尖塔や彫像で飾られた外観とともに、内部は静かな時の重みに満ちていた。
 中央の中世に作られたという大窓から、新約聖書を題材にした鮮やかなステンドグラスを、うっとりと時間が経つのも忘れて眺めているルシアに、ラファエロが言った。

「君は、やっぱりガラス工芸が好きなんだね。なら、お父さんについてもっと習ったらいいじゃないか」
 彼を見返した瞳に、さびしげな影が浮かんだ。
「もう無理だもの……」
「どうしてさ? 君のご両親、今どうしているの?」
「二人とも、三年前に交通事故で……。ある日突然一人になったことが、なかなか信じられなかったわね」
「……すまなかった」
 あきらめたように淡々と語るルシアの肩を両手で抱き寄せた。彼女がぬくもりを求めるように身を寄せてくる。ラファエロは、今すぐもっと激しく抱きしめたくなる激情と、懸命に闘っていた。



 それから、ジェラート店でおいしいジェラートを買って食べながら歩いたり、19世紀のドーム天井で有名なアーケード街周辺の店を覗いたりしているうちに夕刻になった。ラファエロが予約しているという高級リストランテに連れて行かれて、シェフ自慢のディナーに舌鼓を打つ。
 一日のスケジュールの最後は、スカラ座でのオペラ観劇だった。だが、彼女が疲れた様子でうとうとし始めたのを見て、中盤で切り上げ、ホテルに送ってくれる。

「……ごめんなさい。あなた、最後まで見たかったでしょう?」
 オペラなんて、正直言えばよくわからなかった。教養不足を感じ恥ずかしくなってきたが、彼は優しく彼女を気遣い、チェックインしてホテルマンを帰すと、案内された部屋に入っていく。


「うそ……、これって何かの間違いじゃないの?」
 古典的な美しい家具の付いたゴージャスな部屋。ルシアは戸惑いを隠せなかった。
「間違いじゃないさ。君が滞在する間、使う部屋だよ。気に入らないかい?」
「いいえ、まさか。で、でも!」
 クイーンサイズの大きなベッドに目が釘付けになり、はっと視線をそらす。彼の視線に耐えられなくなりそうだった。頬が赤らみ激しくどぎまぎしてくる。ああもう、こういう経験がないことが一目瞭然じゃないの。それに、まだそんな心の準備は全くできていない。
 ルシアの内心を察したらしく、彼がゆっくりと近づいてきた。思わず後ずさる彼女を、両手を伸ばして捕まえると、あごを指先で持ち上げ、顔を覗き込む。
「そんなに無防備な顔をされると、さすがの僕も手も足も出ないな。心配しなくていいよ。君が望まなければ、何もしないと約束するから。だけど……」
 くすっと笑って、ラファエロは呟くように付け足した。
「これくらいは許してくれるかな?」
 まだ自信がなさそうなルシアの頬に額に、軽くキスしていく。いたわりのこもった優しい唇の動きに思わず目を閉じた。さざ波立ち始めた心が、急速に沸き立っていく。このままこの人の胸に飛び込んだら、どうなるのだろう。


 だが、彼はそこで顔を上げると両手を離した。万歳するように手を挙げ、降参というそぶりを見せると、ルシアから離れていく。少しの間、窓から見える街の灯を眺めていたが、やがてローテーブルから車のキィを取り上げ、ドアに向かった。
「パーティは明日の夜7時からだ。朝は、遅い目に迎えに来るよ。今夜はゆっくりお休み、カーラ、ア ドマーニ(また明日)」
「……グラッツィエ(ありがとう)」

 ルシアもようやくイタリア語で礼を言ったが、もうドアは閉じられていた。
 お礼の言葉が彼に届いたかどうか、わからなかった……。


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15/10/17 更新