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 Chapter  11


 二人が連れ立って美しく飾りつけられた大広間に降りていくころには、すでに招待客達が次々と到着していた。
 ローズは子爵とともに広間の入り口に立ち、入ってくる一人一人に声をかけて迎える。いずれも着飾った堂々たる名門貴族の家柄の客ばかりだった。
 普段ならば気さくに話し掛けるどころか、挨拶すらも控えなければならない立場だ。ローズは次第に緊張で喉がからからになってくるのを感じていた。
「こちらのお嬢様は? 初めてお会いしますわね」
 決まってそんなふうに問いかけられる。サーフォーク子爵が見慣れぬ女性を同伴しているせいか、ことさら注目を浴びているようだ。

「今日デビューするミス・ローズマリー・レスターです。以後お見知りおきください」
 子爵が優雅に会釈しながら、彼女を紹介して言う。
 客達の反応は悪くなかった。表面的には、あくまでもにこやかに話しかけてくれる伯爵夫人。知り合えて嬉しいと取ってつけたような微笑を浮かべる男爵令嬢。あからさまな関心の目を向けてくる若い紳士達もいたし、中には「どちらのミス・レスターかしら」といぶかしげに問う夫人もいたが、彼はまったく動じる気配も見せず、さらりとかわしていた。ローズの方はさっきから心臓が飛び出しそうになっている。
 だが子爵家の親族達は、もっと露骨であからさまな詮索の目を向けてきた。特に先日ジェイムズに、レディ・アンナとの縁組みを強硬に勧めていた叔母のウィルソン夫人は、ローズに最初から強い疑惑の目を向け、やがて何人かの親族とともに、子爵の周りを取り囲んでしまった。


 テーブルにはおいしそうなオードブルや七面鳥、幾つもの料理の皿、クリスマスのケーキとプディングなどが、所狭しと並び、ワインをのせた盆を手に給仕達が行き来している。
 子爵が彼女から離れたのをいいことに、しつこく誘いかけてくる何人かの青年紳士達からようやく逃れ、ローズは壁際の空き椅子に腰を下ろした。すると今度は、そばに座っていた中年の奥方達が微笑みながら彼女を値踏みし、出身はどこだとか、そのドレスはどこで仕立てたのかなどと、話し掛けてきた。あれこれ店の名前を挙げながら、時折くすくす笑う。ローズは何とか失礼にならない程度にその場を取り繕って、再び席を離れた。会話のレッスンはしたけれど、この場の雰囲気には到底親しめそうになかった。
 音楽が始まった。楽団がワルツの曲を奏で、目の前で幾組ものカップルが踊り始めた。
 煌くシャンデリアの灯りの下、室内楽の音楽に合わせて人々が華麗に動いていく。こんな豪華で目眩がしそうな感覚も、彼女には馴染みのないものだった。いくら宝石やドレスで着飾っても、自分は所詮自分でしかありえないと、ローズはつくづく思い知らされていた。
 その時、彼女の面前に、一人の気取った感じの、顔に少しそばかすが飛んでいる若者が立った。

「麗しいレディ、よろしければ一曲、お相手していただけますか」
 手を差し出され、思わず子爵の方を見たが、彼はまだ親族に取り囲まれたまま、深刻そうに話している。ローズがためらっているうちに、その紳士に腕を取られ、ホールへと連れ出されてしまった。
 仕方なく子爵に教えてもらったステップをふんで踊り始める。若者が彼女の腰に手を回し、耳元でそっと囁く。
「あなたのような方を、今まで知らなかったとは驚きですね。どちらから来られたんですか」
 どちらからと言われても、答えようがなくて、あいまいに微笑んではぐらかした。何だか相手の身体が、少し近過ぎるような気がする。

 ようやく曲が終わったので、ほっとした。しきたり通りホールを一緒に半周して元いた席に戻ろうとして見ると、子爵が怖い顔でこちらをにらんでいる。ローズがそちらに行こうとするより早く、子爵は近づいてくると、無言で冷ややかにその紳士を一瞥し、その手から彼女の手を取りあげた。紳士はあきらめたように肩をすくめて立ち去っていく。
 子爵はそのままエスコートして、踊りの輪に再びローズを導いた。だが彼は内心の腹立ちを押さえ切れなかった。ローズの耳元で怒ったように囁く。
「まったく君は何を考えているんだ。君に苦労してワルツの踊り方を教えたのは、あんな奴を喜ばせるためではないんだがね」
 その時再び曲が始まった。子爵は音楽に乗って、ローズを巧みにリードしながら踊り始める。ローズは彼を見あげて寄りそうと、ようやく少し安心したように身体の力を抜いた。
「疲れただろう?」
 子爵がそっと問いかけた。心配そうな眼差しになる。大丈夫と言うように首を振ったが、やはり気持は隠せなかったらしい。労るように彼女の腰に回した手に、力が込められる。
「愛しているわ……」
 ローズは彼に身体を預けて踊りながら、囁きかけた。
 彼の目が熱っぽくきらめき、その眼差しが一心に彼女の上に注がれる……。


ワルツが終わると、子爵は親族に引き合わせるために、彼ら十数人が一同に会しているテーブルに、ローズの手を取り連れていった。
 皆、眉根を寄せ、あるいは興味本意に、歩いてくる彼女をじろじろ眺めている。

「先程お話した通り、先日わたしと婚約したミス・ローズマリー・レスターです。今から六か月後に結婚します。皆さん、どうぞよろしくお願いします」
 その中に立って子爵はローズの右手を取って軽く持ちあげながら、落ち着き払った有無を言わさぬ口調で、親族一同にこう告げた。ざわめくようなひそひそ声が、聞こえてくる。
「ジェイムズ、しかし、その娘は……」
 一同の考えを代弁するかのように、おそるおそるこう切り出したウィルソン氏に、ジェイムズは氷のような冷い一瞥を投げかけて遮った。
「叔父上、ご無用なお口出しは、差し控えていただきたいと思いますが」
 ピシャリと言われて一睨みされ、ウィルソン氏は隣で憤懣の意を示している妻の顔を見ながら、一応黙った。
 だがその張り詰めた緊張感が一番こたえたのは、他ならぬローズ自身だった。さっきから身の置き所がないような、いたたまれない気持だった。彼の隣に立ってしっかりと顔をあげていることが、だんだんと難しくなってくる。
 ああ、やはりわたしが何者なのか、もうすべてご存知なんだわ。認めていただけると思っていたわたしは、なんて……。

 その時だった。

「ジェイムズ! どこにいらっしゃるの?」
 ホール入り口付近のざわめきの中から、突然華やかな声が飛んだ。
 いっせいに皆が声の方に顔を向ける。ウィルソン夫人が安堵の表情を浮かべて、そちらにさっとかけ寄っていった。
 人垣が分かれ、そこにやってきたのが他でもない、ダンバード侯爵令嬢レディ・アンナだと、ローズにもわかるまでにそう時間はかからなかった。
 アンナは子爵の姿を見つけると、相好をくずし、両手を前に突き出すようにしてこちらに近づいてきた。
 その華麗な姿を、ローズは心臓が凍りつくような思いで見つめていた。カールした鳶色の髪を一房たらし、残りはふんわり結いあげ、切れ長の黒い理知的な瞳は黒曜石のように輝いている。ふんだんにレースをあしらった、くすんだ紅いビロードのドレス。襟元と耳に煌いているのは、ダイヤモンドだろうか。魅力的な口元には、自信に満ちた微笑が浮かんでいる。その姿は、まるで王女のように威厳があった。
「まあ、ジェイムズ、本当にお久しぶりね。この前のパーティでわたくしをすっぽかしたこと、まだ許したわけではありませんよ」
 ジェイムズがその瞬間、さっと顔を曇らせ、心配そうに自分に目を走らせたのを感じた。彼の左手がローズの右手をぐっと握り締める。だが次の瞬間、子爵はそのまま彼女の手を放すと、アンナの方へ歩きだしていった。


 ローズの目の前で、ジェイムズが侯爵令嬢に丁重に礼をし、その手を取って恭しく口づける。話しながら、椅子に座らせて飲み物を取ってくる様子を、ローズはぼんやりと眺めていた。
「まあ、本当に何てお似合いなんでしょう。あの方こそジェイムズとサーフォーク家に最もふさわしいお嬢様ですとも」
 聞こえよがしに背後から声がする。はっと振り返って、ローズは自分を汚いものでも見るような目つきで睨んでいる、子爵家親族達の冷たい眼差しに気付いた。それは一つ残らず暗黙の内に、彼女に今すぐこの場を立ち去るようにと命じていた。

 ローズは唇をかんだ。だが、どうして逆らうことができるだろう。さっと優雅にお辞儀をするといそいで身を翻す。
 ホールを出るや否や、自分の部屋へ一目散に駆け上がっていった。悲しみと絶望感が、心に潮のように込みあげてくる。
 この自分、名もなきローズマリー・レスターが、サーフォーク子爵と結婚できると思っていたなんて……。
 本当になんて愚かで思い上がっていたんだろう。ローズはすっかり打ちひしがれてしまい、逆に大声で笑いたくなるほどだった。
 だが喉から出てきた声は、自分の声とも思われないようなうめき声だけだった。
 部屋に戻るとドアにかんぬきをかけ、ローズはいそいでつけていたドレスを脱ぎ、宝石類を元どおり箱に片づけた。髪を下ろしいつもの服に着替えて、すべてきちんとしてしまうと、ベッドに腰を下ろしこれからどうするべきか、思い悩み始める。
 子爵と別れることを考えただけでも、胸が詰まり、涙が止めどもなく流れてきた。だが、こうなった以上、彼ももはや自分のことなど望みはしないのではないか。
 はじめて見たレディ・アンナは、咲き誇る真紅の薔薇のようだった。身分、富、美貌、すべてにあまりにも恵まれた方。あんな方とでは自分など、まったく比較の対象にもならない。
 夜が更けてきた。階下からは、まだ楽団の奏でる音楽が聞こえていた。あれこれ思い悩んでいた彼女は、部屋のドアをノックする音に我に帰った。

「ジェイムズ?」
 ローズは小さく呟くと、いそいでドアを開けた。だがそこに立っていたのは、彼女が待ち焦がれていたサーフォーク子爵ではなく、ウィルソン夫人が連れてきているメイドだった。
「大奥様が、お呼びです。あたしと一緒に来てください」
 大奥様……。子爵の祖母、老サーフォーク子爵夫人、レディ・エリザベスだ。
 彼女は顔から血の気が引くのを感じた。この屋敷の奥の間にいらっしゃることはドロシーから聞いて知っていたが、実際会ったことはなかった。
 子爵も祖母の話はしなかった。ただかなり高齢のため健康が優れず、ずっとベッドにふせっている、とだけ言っていた。
 だが今その老夫人から、直接呼び出しがかかっているのだ。ローズは重い腰をあげて身じまいを正すと、メイドについて暗い廊下を歩いていった。
 三階の一番奥まった所にひときわ立派な扉があり、そこがレディ・サーフォークの居室だった。メイドのノックに応えて、入るように声がかかる。左右に重々しく扉が開いた。



 この上なく贅沢な部屋。その部屋の第一印象はまさにそんな感じだった。
 壁の装飾、肖像画、刺繍されたカーテン付きの豪華な広いベッド、カーテンは閉まっている。マホガニーのテーブルと化粧ダンス。皮ばりの椅子。珍しい東洋の置物まである。
 そして、凝った装飾の美しいランプの光の中で、ローズはベッドの傍らに立ち、憤怒の表情で自分を睨みつけているウィルソン夫人を見た。
 考える間もなく膝を折って一礼する。だが再び顔をあげる前に、夫人の言葉は鞭のようにローズを打った。

「あなた、おとなしげな顔をして、よくもジェイムズを誘惑したものですね」
「………」
「あなたは、マーガレットの家庭教師だというではありませんか。たかが家庭教師にうつつを抜かし、挙げ句の果てに結婚するだなどと言い出すなんて! ジェイムズもまったく恥を知るべきです。サーフォーク家の家名に、泥を塗るような真似をさせるとは……」

 ウィルソン夫人は激しい憤りと興奮のあまり、わなわなと震え出した。言葉だけでは収まりきらず歩み寄ってきて、うつむいたままのローズの顔に、平手打ちをしようと手をあげた時、ベッドから厳しいしわがれ声が飛んだ。
「ルイーズ、おやめ」
 夫人の振りあげた手が一瞬躊躇し、それから下へ降ろされた。ベッドを振り返ってみる。
「でも、お母様」
「おやめ、はしたない。いいからこのカーテンを開けておくれ」
 ウィルソン夫人が寝台に近づいてカーテンを開いた。白髪を太い一本の三つ編みにし、やせて皺だらけの厳しい顔がこちらをじっと見つめていた。エリザベス老子爵夫人は、レースとシルクの白い寝間着姿で、ゆっくりと枕に身体をもたせかけて、ベッドの上に身体を起こした。ウィルソン夫人がガウンを着せかける間も、老夫人はローズを丹念に観察しているようだった。
「ふむ、確かになかなか良い娘さんだこと」
 子爵夫人の呟きに、ローズは耳を疑い思わず顔をあげた。子爵夫人と目が合う。その目がジェイムズと同じ、ダークブルーだと、ローズはこんな時にあるまじきことをぼんやり考えた。
「お母様! 何をおっしゃるんです!」
「確かに良い娘さんですね。けれど、あなた、それだけをもってサーフォーク家に嫁入りできるとお思いですか?」
「………」 
 ローズは答えるべきかどうか迷った。
「貴族の家門はどこも同じ様なものだがね、自分の思い通りに結婚することはめったにないのです。持参金、領地、爵位。貴族の結婚には必ずそういった物がついてまわる」
「………」
「あの子は今夜、ダンバード侯爵邸でレディ・アンナとの婚約を発表しました」

 この言葉に対するローズの反応は、ただ目を大きく見開いただけだった。もう全身の神経が疲れきって麻痺したようになっている。
 一刻も早く自由になりたい。今はただそれだけだった。
「それでは、あなたがどうすべきか、お分かりですね」
 老夫人が目で合図すると、ウィルソン夫人は肯いて、傍らの引き出しから、一通の手紙と金貨の袋を取り出し、まだじっとしているローズの手に押しつけた。
「あなたの紹介状です。あなたをしばらくの間預かってくれるように、頼んでおきました。即刻馬車を回します。荷物をまとめ、今すぐにこの屋敷から出て行きなさい」
 老子爵夫人の容赦ない声が飛んだ。

 すべて終わった……。
 最後にローズは引きつった顔をあげ、残されたプライドをかき集めて、精いっぱい胸を張り二人を見た。
「お気遣い感謝いたします。ですがこれは必要ありません」
 静かにそう言うと、金貨の袋を下に落とす。硬貨の重い音がした。

 ローズはそのまま豪華な奥の部屋を後にした。自分の部屋に戻ると、大急ぎでささやかな自分の荷物を木のトランクにまとめた。
 夜半過ぎの月明かりの中、ローズは引き裂かれた心を抱えて、重い足取りでサーフォーク邸を後にした。
 静まり返った石畳の道に、馬車の轍の音が悲しく響いた。


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12/04/15