Chapter 1


 十二月二十五日、クリスマスの早朝。ローズは声にならない叫びとともに目を覚ました。
 少し汗ばみ、喉が渇いている。そっと起き上がるとろうそくに火をつけ、水差しから少し水を汲んで喉を潤した。ひんやりした水の感触が喉に染みる。少し腫れているようだ。
「風邪かしら、いやねぇ」
 小さく呟いてみる。
 壁にかかった鏡に、寝乱れた自分の顔が映っていた。やや小さめの卵形の顔に、大きな表情豊かな茶色の目とすっきり通った鼻、優美な弧を描いた眉。唇はふっくらとして、バラのつぼみを思わせる。
 しかし、今その顔には疲労の色が濃く浮かんでいた。肩の所で切りそろえた自慢の金髪も、あちこちにはねている。夕べ、水浴後、すぐ眠ってしまったせいだ。

 去年のクリスマスには、愛と歓喜の頂点にいたのだ。
 念願かなって家庭教師として入ったサーフォーク子爵家で、その雇い主である子爵との、思いもかけなかった恋と結婚の夢。陽炎のように移りゆく、儚い夢の一こまだった。自分はあまりにも若く、愚かで世間知らず過ぎた。
 彼にはすでに家柄に見合った婚約者がいると知らされた時の衝撃。そして自分が子爵夫人、レディ・サーフォークとしてふさわしいか、子爵家親族達の目にそれがどう映るか、などということを考えても見なかった浅はかさ。それを悟った時のことを思い出すと、今もローズの心の傷に生々しい痛みが蘇る。
 すべてが砕け散った時、彼女は自らその館を永遠に後にした。子爵はもうすでに、あの令嬢と結婚したにちがいない。
 何という違いだろう。彼女はろうそくの光に照らされた、暗い小さな部屋の中を見渡してため息をついた。小さなテーブルと椅子が一つ。洗いざらしのキルトをかけた狭いベッド。そして洗面台兼用のキッチン。壁紙はすすけて薄汚れ足元の小型ストーブではささやかな暖をとるくらい。この寂しい環境が、今は二十一歳になった彼女のすべてだった。

 あの人の夢を見た。それが、この凍てついた暗い時刻に、彼女を目覚めさせた理由だ。
 彼はいつものように微笑んではいなかった。むしろ苦痛に満ちた暗い眼差しを彼女に向けて、手を差し伸べていた。
 この手を取ってくれ……。夢の中で彼は無言で彼女に懇願していた。しかし、再びその手を取ることなど決してないのだ。もう二度と、彼に会うことはないだろう。

 ローズが最後に子爵を見かけたのは、もう十か月近く前のことだった。
 それはあの当時、一時身を寄せていた街で、石畳の路傍でのまったく偶然の再会だった。雑踏の中にいても、サーフォーク子爵の背の高い姿は目立った。その時子爵はローズの見知らぬ令嬢をエスコートして、馬車に乗せようとしていた。数ヤード手前でそれに気付いた時の衝撃。 
 幸いにも、彼は自分に気付いていなかった。ローズは顔を合わせないよう、大急ぎで傍にあったカフェの建物の陰に身を隠した。動悸が激しく心臓が飛び出すかと思われたほどだ。こんな所で何をしているのだろう。それにあの令嬢は、彼の婚約者だというダンバード侯爵令嬢とはまた違う人だ。いったい誰だろう……。
 一刻も早くここから立ち去るべきだという理性の警告を押し止め、ローズは心から愛した男性を食い入るように見つめ続けた。彼の端正な顔がいくらか痩せて引き締まり、サファイヤのような青藍の瞳に厳しさが増しているのが、ここからでも見て取れる。
 これが神から与えられた最後の機会と、ローズは彼のすべてを心に刻み込むように一心に見つめていた。
 ふいに、彼が視線に気がついたかのようにこちらに顔を向けた。十数ヤードの人込みを隔てて二人の目が合う。しまったと思った時には遅かった。彼は馬車に乗りこもうとしていた足を止めた。そして馬車の戸を開け放したまま、こちらに向かって大声で何か叫びながら、全速力で飛び出してきたのだ。
 慌ててその場を離れたローズは、懸命に路地を走った。迷路のような建物の間にいそいで紛れ込み、くねくねと曲がりに曲がって、自分でもどこにいるのか分からなくなったころ、ようやく、ホッと一息ついた。エスコートしている令嬢を置いてまで、彼ももう追ってきはしないだろう。

 彼女はこわばった口元に無理に笑みを浮かべようとした。けれど出てきたのは、嗚咽と、頬を伝う熱い涙だった。彼は変わりなかった。そして、まだわたしを忘れてはいなかった。偶然にもそれを確認できただけで、こんなにも深い喜びに満たされている。
 神様、ありがとうございます。そして、今度こそすべてを忘れます……。

 そしてその後、すぐまた引っ越さなければならなかった。かねてより広告を出していた教師として、正式に採用が決まったため、長時間馬車に揺られて、このイングランド西部にあるソールズの村にやってきたのだった。文字通りトランク一つだけで。
 そして日々の生活との闘いが始まった。学校と下宿を往復しながら、読み書き、裁縫から数学までを、教育を受けたこともない雑多な年齢の子供達に教える。最初の頃は黒板に注意を向けさせることだけで、まったくひと苦労だった……。



 気がつけば、朝の日差しが外の冷気を破って射しこみ始めていた。
ローズは突然襲ってきた追憶の波を振り払うように、立ち上がった。今は過去の感傷に浸っている時ではない。元気を出して、現実問題に精いっぱい立ち向かわなければならないのだ。
 クリスマス休暇も今の彼女にとっては、楽しいものではなかった。今月分の家賃を何とか年末までに納めなければ、新年早々、展開が厳しくなるのは目に見えていた。ひと月50シリングの給料で、女一人暮らしていくのはたやすくはなかった。暖かい村人の心づけが届く日もあったが、文字通りパンと水だけの日もあった。
 それでも、そんな暮らしにも少しずつ慣れ、無知だが感性豊かな子供達に、自分の知識を分かち与えるという新しい生活のはりを得て、ローズはこんな生活も思ったほどひどくはないとさえ、思い始めていた。

 今日はクリスマス。教会でクリスマス礼拝に出席したら、帰りに市場でチキンか七面鳥の足くらいは買ってこよう。そう思いつつ、少し贅沢に取っておきのお茶を入れ、ゆっくりと食事を済ませた。 髪を後ろで一つにまとめ、やや型は古いが自分によく似合う濃い緑の服に、黒のウールのマントをはおって、外に出た。
 凍てつく冬の空気で、鼻が痛い。マフでもあればいいのだろうが、それもないので、薄手の手袋で我慢した。
 微かに雪の舞い散る中、教会の付近には、すでに結構な人出があった。隣近所の奥さん達がそれぞれにクリスマスの晴れ着を着て、ご主人と、あるいは子供達と、または何人かかたまって話をしている。ローズが会釈して教会の中に入ろうとした時、後から大声で呼び止められた。
「これはこれは、ミス・レスター。まったく寒いですな。メリークリスマス!」
 オリバー・デントだ。富裕な農家の息子だが、その大きな体躯に合わせるかのようにいつも大声で話し、がさつで品がない男だった。何かにつけて彼女に近づこうとしているようで、それがたまらなく嫌だった。たちまちローズの中で警鐘が鳴り出した。
「あら、おはようございます」
 努めてよそよそしくこれだけ答えると、ことさら取り澄まして、いつもの自分の席に着こうとする。「何と冷たいことだ。もう少しいいじゃありませんか」
 デントはひるまず追いかけてきて、彼女の腕に手をかけた。
「今日はクリスマスだというのに、あなたのような若く美しい女性が一人でいるとは、まったく納得できませんな。ひとつエスコートして差しあげましょう。この礼拝が終ってから、キングスリー家のクリスマスパーティにご一緒するというのはいかがです?」
「結構ですわ、デントさん」彼女は嫌悪感から、冷たく相手の手を振り解いた。
「あいにくと先約がありますの。お心遣いは感謝しますわ」
「先約だって? これは聞き捨てならないな」
 彼はおかしそうに、近くにいた年配の婦人にウィンクしてみせた。
「ミセス・マージョリー、ミス・レスターの新しいお相手をご存知ですかな」
「ほらほら、まったくしようがない人だね」
 ミセス・マージョリーが、やんわりとたしなめるように言った。
「先生のお相手が誰だろうが、あんたにはまったく関係ないじゃないかね。先生が困ってなさるよ」
 その時牧師が入ってきて、賛美歌が始まったので、各自着席して、話はそれまでとなった。ローズはため息をついた。この村に来てからもう十か月。学校のクラスもまあまあ順調と言えそうだし、皆よくしてくれているが、こうした興味本位の誘いは、極力断るようにしていた。何となく気楽にはしゃぐ気になれなかったからだ。若い娘らしく、もっとパーティにでも関心が引かれれば、こんな憂鬱な気持とは、別れることができるかもしれないのに。今も彼女の心はともすれば、明け方に見た夢の中の、彼の面影に戻ってしまうのだった。
 説教が終り、寄付金箱が回収されると、メリークリスマスの声とともに、人並みが教会堂の入り口の方に徐々に動いていった。別に急ぐ用もないので、ゆっくりと最後まで座っていると、愛想のいい小太りの女が、近づいてきた。彼女の教えている生徒の母親の一人、ミセス・ベルだ。好奇心を抑えきれないのが見て取れ、案の定、挨拶もそこそこに切り出した。
「実は先週、姪の誕生パーティに招かれて町に住む姉の所に行ってきたのですよ。そこでお会いした方に、先生のことを聞かれましてね」
「わたしのこと? いったいどなたです?」
「ええ、確かですよ。お名前はたしか、ランバートさんとかおっしゃいましたっけ。弁護士だそうですよ、ロンドンの。四十くらいの紳士でしたね。何でもあなたとは、お知り合いだとか」
ロンドンの弁護士ですって? 一瞬ローズの心臓がどきんと音を立てた。が、顔には出さずに、努めてさりげなく尋ねた。
「どうしてわたしのことなど、話題になったんですの?」
「いえね、ランバートさんはわたしがソールズに住んでいると、姉からお聞きになったらしくって、そこにこういうふうな女教師はいないかと、お尋ねになられましてね。それがどうもあなたのことらしかったので『ええ、いらっしゃいますよ、わたしの息子の先生です』と申しあげたんです。そうしたら、とても喜びなさってね」
 そう言いながら、ミセス・ベルはきらきらした興味深げな眼差しを、ローズに向けた。
「今日はまったく冷えますよね。でも、今からとびきりのハムをスライスさせますからね。もちろんクリスマス・プディングもありますよ。よかったら、あなたもおいでなさいな。それではわたしはこれで」 
 立ち去ろうとするミセス・ベルに、ローズはどうやら微笑らしきものをひねり出し、クリスマスの祝いを述べた。どうやら何かあるようだと勘ぐりながらも、慎みからあえて言葉に出して尋ねなかった夫人の心遣いはありがたかったが、彼女は漠然と不安の波に襲われていた。目を閉じ再び開いて、じっと正面にある、十字架上のイエス・キリストを見つめた。今、もうそこに残っているのは彼女一人だった。
 自分の部屋に今すぐ帰りたいと思った。ロンドンの弁護士ですって? 彼と何か関係があるのだろうか。だとしたら今ごろいったい何のために?
 解けない疑問が頭を駆け巡る。とにかく外へ出ようと、気を取り直して椅子から身を起こし、入り口の方を振り返った。

 その時、教会堂の入り口に影が動いた。突然青ざめ、見開かれたローズの目に、扉の所に外の光を覆い隠すように立ちふさがっている、背の高い堂々とした男の姿が飛び込んできた。



 ローズは、自分が気を失うのではないかと思った。元のベンチに再び崩れるように座り込む。そのくせ驚愕のあまりいっぱいに見開かれた目は、彼の姿にひきつけられて、離すことができない。
 血の気のない唇から、絞り出すような声が漏れた。
「ジェイ……ムズ……なの?」
「そう、わたしだ、ローズマリー。名前を覚えていてくれたとは光栄だ」
 その人はゆっくりと近づいてきた。薄暗い室内の光と被った帽子のせいで表情はよく見えないが、彼がひどく緊張していることは、ありありと窺えた。自分が座りこんでいるベンチの一歩手前で足を止め、彼女の視線をしっかり捕らえる。その眼差しにこもる食い入るような激しい怒りに捕らえられ、息が苦しくなってくる。そして怒りとともにもう一つ、表現しがたい何かが彼の全身にみなぎっているようで、彼女は思わず身震いした。声が喉の奥で凍りついてしまったように、出てこようとしない。
 彼はそんなローズの様子をじっくり観察した後、おもむろに言葉を継いだ。
「メリークリスマス。あれからちょうど一年か。あまり元気そうには見えないな」
 サーフォーク子爵、ジェイムズ・レイモンド! 懐かしい深みのある低い声が、彼女の耳に響いた。
「どうして、来たんです……? あなたがいらっしゃるなんて、思ってもいなかったのに」
 しばらく沈黙した後、ローズは干あがったような喉から、ようやくかすれた声を絞り出した。これだけ言うのが精いっぱいだった。
「どうして来たか、だと?」 
 子爵は軽蔑のこもった低い声で、彼女の問いを繰り返した。
「まぁ、両手を挙げて大歓迎を受けるとは、期待していなかったがね」
 辛らつな口調だった。だが視線は彼女をむさぼるように見据えたまま微動だにしない。
「ないがしろにされ、突然捨てられた元婚約者としては、どうしてもその理由を聞かずにはいられなくてね。ずっと君を探していた。どうやら君には、人間としての情というものが、完全に欠落しているようだ。あのころ、それがわからなかったとは、わたしもまったく間抜けだったな」
 あまりの非難にショックを受け、それと同時にローズの舌が動くようになった。頬がうっすら紅潮し、ひたと彼を見返した。
「それでは、まるでわたしが一方的に悪者で、あなたは被害者だとおっしゃりたいように聞こえますわ」
「違うとでも言いたげな口ぶりじゃないか」彼の口調は、あいかわらず苦く嘲弄めいていた。「事実そうだ。言い訳でもあるのか?」
「もちろん違います! あなたの方こそ……」
 思わず事実をもらしそうになってから、気がつく。もうすべて終わったことだ。今更こんな話を蒸し返して、いったい何になるというのだろう? 一年前、子爵家の豪奢な奥の間で、ベッドに身を起こし彼女に残酷な宣言をした、高貴な老子爵夫人の姿が、彼女の脳裏に今もはっきりと思い浮かぶ。ローズは唇を噛んで黙り込み、下を向いた。
「何だ? なぜ黙る?」
 少し間を置いてから彼女は顔をあげ、かつての恋人をゆっくりと見あげた。
「ここは、神聖な場所ですわ。こんなお話をするのにふさわしい場所とは言えないでしょう」
 そう言って再び立ち上がろうとしたが、足がまだ萎えたようになっていて、ふらついた。彼の手が彼女を支えるように腕にかけられるのを感じ、ビクッと身を震わせた。彼の手が触れた所が、熱く感じられる。
「一人で歩けます。触らないでください」
 そう言って、彼をよけようと手をあげたが、その手はかえって彼の空いた方の手につかまれてしまった。いそいでその手を引っ込めようとしたが、彼は離さなかった。むしろさらに強く握り締め、その指の感触を味わうかのように、そっと愛撫し始める。振り切ろうと手に力を入れるローズの反応に動じる様子もなく、ジェイムズはゆっくり頭をかがめると、つかんだその手の指を、自分の唇に押し当てた。
 はっとしてさらに身をこわばらせたローズは、慌ててつかまれていた手を振り解くと、彼の半抱擁状態から逃れた。唇を当てられた指先が、燃えるように熱い。ジェイムズの引き締まった男らしい顔も暗く陰り、彼女の動きを止めようとはしなかった。
「サーフォーク子爵様」
 無意識のうちに、指をもう片方の手で押さえながらも、彼女はなるべくしっかりした声音で話せるように祈りながら、彼に背を向けて戸口を向いた。
「わたしの行動がもし、あなたを少しでもお苦しめしたのでしたら、どうぞお許しください。ですがわたしはあなたのために、一番よいと思うことをしただけですわ。どうぞ、あの方とお幸せに」
 それだけ言うと、マントの前をかき合せ、いそいで外へ走り出た。彼もローズについて、早足で歩き出した。
「いったい何を言っているんだ? わたしのためだと? 突然かき消すようにいなくなって、どこを探しても見つからない。わたしがこの一年をどんな思いで過ごしたか、君には到底わかるまいさ。君の行動の説明が聞きたいんだ。だから何としても、君を探し出さねばならなかった」
 ジェイムズは並んで歩いていたかと思うと、ふいに彼女の前に回り込み、立ちふさがった。目を合わせまいと視線をそらすローズのあごに手をかけ、無理に自分の方を向かせると、その苦悩に満ちた大きな茶色の瞳を覗き込む。
 明るい戸外の光の中で、一年ぶりに見る懐かしい彼の面差しは、やはり整っていて魅力的だったが、彼女が覚えていたよりも、より引き締まって精悍になり、口元には前にはなかった皺が刻まれている。そのせいか、三十三歳という実際の年齢よりも年上に見えてしまうようだ。
 けれど何より変わったのは、からかうような優しい笑みを浮かべて、自分を見つめていた青藍の瞳が、今は厳しい、それでいてむさぼるような表情をたたえていることだった。この村では見たこともないほど、洗練された高価そうな衣服を見ただけで、彼の身分が推し量られる。
 クリスマスに教会の前の広場で、にらみ合うように立っている二人の姿は、人目を引いた。通り過ぎる人は何かあったのだろうかと、怪訝な面持ちで二人の様子を眺めていく。ローズは、頭をふって数歩後ずさった。
「本当にそんな説明をお聞きになりたくて、こんな田舎までおいでになったんですの?」
 信じられないと言いたげなその口調に、彼の口元が微かに歪んだ。
「いや、それだけじゃない。三か月前、祖母が亡くなったよ」
「まぁ、それは……、お気の毒に」
「本気でそう言えるのか?」
 彼は表情を曇らせた。その時、二人の沈黙を遮るように、数歩後ろからがさつな大声が響いた。

「やあ、ミス・レスター。これは驚いた。あなたもなかなか隅に置けないようだ。確かに素晴らしいお連れですな。この辺りではお見掛けしないお顔だが、いったいどなただろう? ひとつご紹介願えますかな」
 オリバー・デントだった。その口調とは裏腹に彼の子爵を見る表情には、強い羨望と嫉妬が浮かんでいる。ローズはとっさにこぼれんばかりの笑みを浮かべて、デントに駆け寄った。
 普段は完全に無視している彼だったが、この時ばかりはありがたかった。
「ああ、ちょうどよいところへいらしてくださったわ。この方まったくしつこくて困っていましたのよ。あなた、今からわたしとキングスリー家のパーティに、ご一緒してくださるわよね」
 言いながら、横目でちらりとジェイムズを見やる。彼は黙って二人に、軽蔑しきったような冷たい視線を投げかけると、顔を背け、大またに歩き去ってしまった。

 よかった……。安堵と落胆の激しく交錯する複雑な気持で、ローズは子爵の後ろ姿を見送った。
 だが、とっさに言ってしまった言葉は撤回できない。こんな男とパーティに出るくらいなら、キングスリー家の厨房で皿洗いでもしていた方が、どんなにましかしれないのに……。
 デントはそんな彼女の様子にも気付かず、得意そうに顔を輝かせ彼女の手を取った。
「これはどういう風の吹き回しだろう。あなたの口からそんな言葉が聞けようとは。もちろん喜んで、お連れしますぞ」

 こうして、成り行き上とはいえ、うんざりするような、午後のパーティに連れ出されることになってしまった。


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12/04/05