Chapter 1
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わざと辛らつに続ける。
「何か勘違いしてるんじゃないだろうな。あらかじめ言っておくが、うちは君達のようなレディが日常出入りする社交クラブや、サロンとは違うんだぜ」
パトリシアが、「まあ」というように眉を上げた。
「今のはお褒めいただいたの? ロイド・クライン。いったいどういう意味かしら? わたしには弁護士事務所と社交クラブの区別も付かないほど知恵がない、とでもおっしゃりたいの?」
「いや。しかし、ここに来る用事があるようにも見えないね」
気が付くと二人は見えない火花を散らしていた。ウェスコット氏が慌てて口を挟む。
「ロイド、お前はさっきからこのお嬢さんに向って、何と馬鹿げたことばかり言ってるんだ? ミス・ニコルズは、れっきとした調査依頼を持っておいでだ。第一、いくら昔の知己でも、そんな失礼な態度に出ていいという理由にはならんぞ!」
「調査依頼ですか? また何の?」
「わたしの父が……、三日前の午後、外出したきり戻って来ないの」
「ミスター・ニコルズが? 迷子……? まさか子供でもあるまいし。その内帰ってくるだろう」
ロイの態度に、彼女の声が高くなった。
「でも、もう三日よ! 言伝てすらないの。今まで一度もこんなことはなかったのに。最近ずっと悩んでいらしたようだったから、何かあったんじゃないかと心配で……」
「それじゃ、君のお父さんが行方不明になったっていうのかい? ならここより、警察にでも行った方がいいんじゃないのか?」
「それは……したくないの」
彼女は力なく俯いた。
「あまり事を荒立てない方が……いいらしいのよ。でももうわたし達、気が気ではなくて。母は心配のあまり床に臥せってしまうし……。それで、こちらに今朝一番にお伺いしたの。そういう調査もしてくれると聞いたから。そうしたら、思いがけずあなたがいて、とても心強くて嬉しかったのに。なのにそんな意地悪な言い方ばかりするなんて……」
ロイは心の中でうめき声をあげていた。パトリシアの瞳が怒りに煌く。
「どうやらわたしの見込み外れだったようね。それならもう結構ですわ。他を探します」
言うなり、ポーチとコートを取り上げ、部屋から出て行こうとしたパトリシアを、ロイは慌てて前に回って遮った。
「待ってくれ、パトリシア。あまり突然だったから驚いたんだ。……すまない。まずはお互い、もう少し落ち着こうじゃないか」
彼の言葉にパトリシアも自分が興奮していたことに気付いたようだ。無言で彼女に再び椅子を勧めていると、ウェスコット氏が背後で二度目の咳払いをし、白髪混じりの頭を振り振り近づいてきた。
「ミス・ニコルズ、大変失礼いたしました。ロイド、お前、今朝はまったくどうかしとるぞ。まだ酔いが覚めないのか? さっさと行って冷たい水で頭を冷やしてくるんだな。依頼人に向ってその態度は何だ、この大馬鹿者め。いやいや、ミス・ニコルズ、ご家族の方のご心配は重々お察ししますぞ。ですがまあ、そうむやみに悪いほうに考えて心配されますな。もちろんご依頼とあれば、大至急お父上をお探ししますからな」
*** ***
「さて、それではマーシーにもう一杯お茶を運ばせましょう。なに、このロイド・クラインはまだ若いが、そういう方面ではかなり目端の聞く奴でしてな。先月も一件、ある子供の問題を解決したばかりですよ。たしか、一人暮らしの老嬢が連れ去った、というものでしたがな……」
ウェスコット氏はしばらく当たり障りのない話で場を持たせていたが、やがて時計を見ながらおもむろに立ち上がった。
「ところで、わたしはこれからある家の遺産管財人に会う約束がありましてな。申し訳ないが、もう出かけねばならんのです。ロイド、今日の午前中は時間があったはずだな? いい加減でしっかりお嬢さんの相談に乗ってさしあげるんだぞ」
帽子をとり上げると、取り繕うようにパトリシアに会釈した。
「ではミス・ニコルズ、どうぞごゆっくり」
「先生! ちょっと待って下さいよ!」
抜き差しならない事態に陥りそうな予感に、慌てたロイが大声で引き止めたが、ウェスコット氏は鋭い目を彼に向け、「いいな、うまくやれよ」とサインを送ると、出て行ってしまった。
入れ替わるように、マーシーがお茶を持って入ってくる。
「ロイ、これが今日のあなたの予定よ」
まだ呆然としていた彼は、なかば上の空でメモを受け取り肯いた。彼女は少しの間、新参の女性依頼人を値踏みするように見ていたが、静かに持ち場に戻っていった。
あとには、気まずい沈黙だけが残った。
「とにかく飲んで。お茶がさめる……」
ロイはパトリシアに紅茶を勧め、自らもカップを取り上げ窓際に歩いて行った。どうにかして気持を落ち着けなければならない。このまま仕事の話など、とてもできそうになかった。
これはとんでもない運命の巡り合わせなのか、それとも単なる偶然にすぎないのか?
彼はカップの中身を全部飲み干すと、ようやくパトリシアを振り返った。
「では君も今は、トロントに住んでいるんだね」
分かり切ったことをもう一度問いかけながら、ようやく向かいの椅子に腰を下ろす。しゃれた帽子の下から、黒い瞳が真摯にこちらを見つめた。
「ええ。もう何年にもなるわ」
「僕もさ。なら、もっとはやく連絡をくれたらよかったのに」
「どうしたら、あなたの居場所がわかったかしら?」
「この事務所に入ったのは二年前だ。それまでは大学の寮にいた。それじゃ、ここを僕の母に聞いて来た、という訳ではなかったのか」
「全然知らなかったわ。知人からこちらの話を聞いて来ただけですもの。わたしももうサマセットには何年も帰っていないのよ。あなたのお母様、お元気でいらっしゃる? あの時は……大変だったわね」
父と妹の葬儀のときの話だ。彼はうなずき、はじめて彼女に微笑みかけた。
「あの時は僕も動揺していて、ろくに礼も言えなかったけど、君には感謝してた。ありがとう、お陰で本当に助かったよ」
少し照れくさそうに言うと、彼女も微笑んだ。いそいで話題を変える。
「トロントには家族皆で?」
「父と母はこことシャーロットタウンを行き来しながら暮らしてるわ。リックは大学よ」
「じゃあ森屋敷は?」
「エムが管理してくれているわ」
「ああ、彼女ね……」
苦い記憶に彼は大げさに顔をしかめた。
「川に落ちたことを謝りに行った日、森屋敷から叩き出されたことは忘れようにも忘れられないな。彼女、まだ健在かい?」
「もちろんよ。今では森屋敷のご主人様ね」
二人は顔を見合わせて笑った。二人の中に蘇った懐かしい思い出と共に、サマセットの森の香りがあたりに立ち込めたような気がした。
やがてロイは、ビジネスライクな口調に戻った。
「それじゃ、もう一度順序立てて説明してくれないか? いったい何があったのか」
更に皮肉混じりに付け足す。
「昔はとうてい無理だったけど、今なら僕も多少は、君の力になれるかもしれないからね」
「どういう意味? あなたったら、さっきから……」
彼女は小さくため息をついて続けた。
「あの日、父は朝からちょっといらいらしていたような気がするわ……。昼食後、約束があるからラトランド商会に行ってくるとおっしゃって、そのままお帰りにならないの」
「その商会ってどういう所? お父さんとはどういう関係だい?」
「もう長いこと取り引きがあるらしいわ。鉄道債に関してだったかしら」
「鉄道債?」
「詳しいことは、わからないわ。殿方はそんなことを、わたし達女にはあまり話さないでしょう?」
「だがそれなら、その商会には聞いてみたのかい? 何か分かるんじゃないか?」
「ええ、もちろん訊ねたのよ!」
苛立ったように彼女が答える。
「でも、その日父は来ていないと言うだけなの」
「なるほど……」
ロイは頭の中で話を整理すると、パトリシアを見返した。
「ではまず、君の屋敷に行かなければならないようだね。ミスター・ニコルズの部屋に何か手がかりはないか、探さなければならない。それでも構わないかな?」
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16/12/20